2024年03月22日

バイキングがやってくる!  

前回はロイヤル・バイキング・クルーズについて書いた。今回はその後継者と称されるバイキング・オーシャン・クルーズに触れよう。バイキング・オーシャンはロイヤル・バイキング・ラインの企業コンセプトに感銘を受けたトリスタン・ハーゲン氏が創立したくクルーズ企業。ハーゲン氏はまずリバークルーズで年来の構想を実践する。
歴史と文化遺産の多いヨーロッパ河川を舞台に、乗客定員100名のロングシップを揃えた。バイキング・リバークルーズの呼び物は気軽で丁寧な上陸観光(料金はクルーズ料金に含まれている)と上質な食事、家族的な乗員サービスだった。船は寄港都市の中心近くに接岸し、乗客は気軽に上陸観光が楽しめ、船内の食事も従来のリバー・クルーズ船をしのぐと好評だった。


バイキング・リバークルーズの成功はあきらかで今では55隻のロングシップ船団に増え就航水域も拡大した。ハーゲン社長は成功のノウハウをもとにバイキング・オーシャン・クルーズを創建、現在9隻体制になり、さらにロングシップとオーシャンクルーズ船の中間をゆく2万トン級の探検船も増強、北米五大湖クルーズなど新しいクルーズ海域を広げている。いまやハーゲン氏は目標のロイヤルバイキング・ラインを完全に凌駕した。

バイキング・グループの第一の特長は同サイズ同型船の統一だ。船隊はまるでイージス艦隊のようだ。客はどの船に乗っても同等の佳いクルーズが経験できるだろう。船はいずれも4万7千トン、乗客定員は950人前後。船内はシンプルで美しい北欧デザインを基調にし、過剰な装飾やカジノと子供プールを設けない。同一規格船の建造はコスト的に有利で造船会社も安定した作業計画が組める。従業員たちは乗務船が変わってもまごつかず持ち前のスキルを活かしやすい。

会社も建造コスト面で大きなメリットがある。例えば現在建造中の飛鳥IIIは51,950トン乗客定員744人で建造費は約6億5千万ドル(Cruise Industry Newsより)と言われる。同時期に建造中のバイキング・オーシャン(船名未定)は47,000トン乗客950人で建造費は約4億ドルという。(飛鳥 IIIlより5000トンほど小さいが、ほぼ同サイズの中型船として比較した)年末日本に来航するバイキング・エデンの4クルーズは、バイキング・オーシャン・クルーズを体験するまたとない機会だ。乗りたいな。P.S.日本寄港で喜んでいたら、「3月25日以降料金を4.1〜8万円値上げします」という発表。水をかけられた感じです。
  


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2024年03月15日

ロイヤル・バイキング・ラインの足跡   

新型コロナの規制緩和のせいか、クルーズを含む海外旅行が活気づいてきた。かつてはプリンセスとコスタ程度だった日本発着外国船がMSCをはじめノルウエイジャン、ホーランド・アメリカ、シーボーン、キュナードまで配船してきたかと思ったら、なんと今年はバイキング・オーシャンが神戸発着4コースを打ち出してきた。バイキング・オーシャンはハパク・ロイドのオイローパとベルリッツのトップ評価を競うクルーズ船だ。初代飛鳥、ふじ丸時代には考えられない展開になった。(下の写真は2019年清水港に寄港したバイキング・オライオン。下のバイキング・サンとよく似ているね)

ボクのクルーズ大好き心を刺激したのもロイヤル・バイキング・ラインだった。最初に乗った外国船がロイヤル・バイキング・スターだし、ロイヤル・バイキングの旗艦ロイヤル・バイキング・サンにも乗ることができた。そのときのバイキング・サンはキュナードに移籍が決まっていたので、煙突には海つばめのロゴマークがあったがマストにキュナードの旗を掲げていた。
(下の写真は在りし日のロイヤル・バイキング・サン。)

ボクはリスボンからチベタベッキアまでの旅だったが名船の印象はいまも脳裏にある。その後ロイヤル・バイキング・サンはキュナードに移籍してカロニアと改名したり、HALに移籍してプリンセンダムと改名し長く現役にあった。ロイヤル・バイキング・サンの船内配置や船客サービスは後発の中型客船が大いにお手本にした。バイキング・オーシャン・クルーズは後継者の筆頭といえる。(下の写真は HAL時代のプリンセンダムことロイヤル・バイキング・サン。特徴あるハウス部分の曲線処理がよくわかる)

ボクがロイヤル・バイキング・サンに乗ったときちょっとしたトラブルがあった。地中海クルーズだったから、ボクは妻とAF’(エールフランス)で成田を発ちパリ経由で乗船地リスボンに飛んだ。ところがリスボン空港で妻のスーツケースが出てこない。どうやらAFがパリで積み忘れたのだ。スーツケースには妻の大事な着物と帯など一式が入っていた。幸い一日遅れで荷物が届いたが、おかげでボクはリスボン観光どころでなくなり、ホテルと空港の間を跳び回ってロストバゲージ処理に翻弄される苦い思い出になった。

(左の写真はロイヤル・バイキング・サンで船長主催カクテルパーティのスナップ。ボクが作った郷土の船と歴史のイラスト本をオルガ・ハルシェイム船長に贈呈した場面)話が脇道にそれたので、新生バイキング・オーシャン・クルーズの話は次回にしょう。


  


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2024年03月08日

大つづら 小つづら  

かし話「舌切り雀」では親切なお爺さんは助けたスズメからお礼に大きなツヅラか小さなツヅラのどちらか、好きな方をどうぞと言われたけど、さて、あなたならどっちを選ぶかな。


界最大級のクルーズ会社ロイヤル・カリビアン・インターナショナルは、このほどオアシス・オブ・ザ・シーズ(以下オアシスOTSと略す)級大型船の7隻目を発注した。(今年の1月にデビューしたアイコンOTSは一回り大きい25万トンLNG焚きでオアシス級とは別のカテゴリーらしい)オアシス0TSは2009年にデビューした22万5千トン、乗客定員6,360名、世界最大級の大型船だ。その後は2010年に姉妹船アルーアOTS、2016年にハーモニーOTS、2018年にシンフォニーOTS、2022年にワンダーOTS、2024年にユートピアOTSが登場、さらに2028年完成予定で船名未定7番船の建造契約先はフランスの造船所である。 

23万トン客船の建造費は11〜13億ドルだそうな。(建造費の内訳はわからないが、おそらく船体そのものの建造費で家具インテリア遊具設備などは別料金だろう)公表される標準的な船の建造費をみると、オアシス級の半分ほどの大きさのクイーン・アン(11万3千トン:乗客定員3,000人)は6億ドル。ブリリアント:レディ(11万トン:乗客定員2,770人)は8億ドル、クイーン・アンで6億ドル位だ。客を大勢のせたら薄利多売で料金は安くするかと思うけどそれほど安くならない。でっかい稼ぎにはでっかいツヅラが必要だ。でも大きすぎるとパナマ運河が通れなかったり、小さな港には近づけなかったり、ハーバーブリッジをくぐれないとか客へのサービスも行き届かなくなるだろう。大小それぞれ長所短所がある。だからそこそこデラックスで料金はほどほど、という中型船に根強い人気があるんだなあ。
  


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2024年03月01日

 戻りカゴなら安くなる? 

むかし、街道の松並木に夕陽がかかる頃、歩き疲れた旅人に「だんな、乗らねえかい、戻りカゴだからお安くしとくぜ」と、声をかける駕籠かきがいたそうな。戻りカゴというのはタクシーで言えば、客を降ろして車庫に帰る空車のこと。なかなか巧みなセールストークだ。

の話に戻ります。クルーズ船は(例外もあるけど)年中同じ海域にいるわけではない。自社船隊の配置転換に合わせて満開チューリップ畑見物やオーロラ見物、氷河見物など季節ネタを組み合わせコースを作る。そのコース作りが近頃ちょっと変わってきた。これまでどちらかと言うと、配置転換(リポジション)は迅速さが優先してきた。例えば地中海にいた船をカリブ海に配置転換する場合、船はスペインあたりから乗り出してマディラかバミューダを経てフロリアあたりへノンストップで急行する。つまり戻り籠には道草を食わせませなかった。航海日数を少なくすればそれだけ料金はお安くできるのだ。

近それがちょっと変化してきた。先ごろHAL(ホーランド・アメリカ・ライン)が発表した大西洋横断クルーズは、なんとフォート・ローダデール発着で42日間かけて地中海をめぐり大西洋横断するのだ。使用船はフォーレンダム(1999年デビューの6万トン)で出発は本年11月9日、ポルトガル、イタリア、ギリシャ、エジプトなど9カ国を廻りクリスマスまでに戻ってくる。(これはもうリポジションとは言いにくい)それで料金は最安のインサイドルームが$5,200(約76万円)からと言うから1日当たり$120程度の料金じゃ!

HALはこの変則リポジションに自信があるようで、来年10月にもニューヨーク発着42日間大西洋往復地中海クルーズを敢行したいようだ。他にもNCL(ノルウエイジャン・クルーズ・ライン)のようにシングル客大歓迎を打ち出したところもある。どうやら定番の1週間クルーズを卒業したファンを誘う新しいトレンドが動き出したのかな。

つてニューヨークは大西洋横断クルーズの起点として大いににぎわった。マンハッタンのハドソン河畔に櫛の歯のように並んだ桟橋は"Luxury Liner Row"(豪華客船溜り)と呼ばれなかなかの光景だった。ライナー(定期船)の時代は消えて久しく、今はリポジションによるクルーズが花盛りだ。あのころボクもニューヨークからバミューダ行きに乗った思い出がある。船はロイヤル・バイキング・スター、リポジション のさきがけになった船だった。懐かしいなあ。



  


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2024年02月22日

春を呼ぶザ・ロープ帆船模型展



ザ・ロープ帆船模型展の案内状をいただいた。
期日は2024年4月14日(日)から20日(土)までの7日間、
いつもと同じ東京交通会館地階ゴールドサロンで開催される。
今年で第49回目、本年は世界の帆船のほか日本の船に
スポットライトを当てた展示になるという。楽しみです。
  


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2024年02月16日

韓国で低公害コンテナ巨船   

国のヒュンダイ(現代)重工蔚山造船所で、まもなく大型コンテナ船が完成する。船の名前はアン・メルスク。(英語読みでマースクとも)神田修治さんの「船のカタチ」の受け売りをすれば、コンテナ船は1960年代後半から世界の海運界に広まったが、なかでもAPモラー・メルスク社は熱心に改良を続け世界最大級のコンテナ船運営会社になった。

の後もコンテナ船の大型化は進み、一時は12万馬力のエンジンを載せ3軸の推進機で最大速度33ノットで走る航空母艦並みの船まで出現した。採算性も無視できず、近年は低公害化が求められ速度よりもグリーンシップ化が重視されるようになった。アン・メルスクはその典型だろう。建造中の写真を見るとブリッジとハウスを前後に離したトリプルE級の発展形とみえる、20フィート型コンテナなら16,592個を積める。主機はMAN製ディーゼルエンジンで重油かメタノール燃料の併用が最大のウリ。速力は21〜24ノットほどか。2月末には竣工する予定。ボクとしては好きな船形ではない。

ルスクのコンテナ船といえば忘れられないのはトム・ハンクス主演の映画「キャプテン・フィリップス」がある。大規模漁業会社のために衰退したソマリアの漁師がコンテナ船のハイジャックをする話だった。映画ではメルスクが全面協力をして撮影用にアラバマ・メルスクを提供した。撮影にはアメリカ海軍の駆逐艦トラックストンも協力し、地中海のマルタ島沖で9週間をかけて行われリアリティ満点の作品になった。でもアン・メルスクみたいな巨大船をハイジャックしたら隠し処に苦労するだろうなあ…。  


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2024年02月09日

ノロか? Q.ヴィクトリアで下痢患者116名  



CDC(アメリカ疾病対策センター)によるとクルーズ船クイーン・ヴィクトリア(9万トン;乗客定員2,083名)の船内で大量の下痢患者が発生したもようだ。クイーン・ヴィクトリアは1月11日にサザンプトンを出発し世界周遊クルーズの途中だったが、22日フロリダのフォート・ローダーデールに寄港してCDCに届け出があり事態が判明した。CDCによれば下痢と嘔吐症状の発症者は乗客1,824名中116名、乗員の発症者は15名だという。先にセレブリティ・コンステレーションでも100名ほどのノロウイルス患者が発生したばかりで、クルーズ業界は警戒感を強めている。ウイルスはラグジュアリー船もカジュアル船も区別なしじゃ。   


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2024年02月02日

ルネッサンス復興未だならず  


ランスと言えば、かつては英国と大西洋定期航路で覇を競った海洋国家。昨年久しぶりにクルーズ業界参入かと期待を込めてこの雑記帳で紹介した。しかし期待の星はその後一年間鳴かず飛ばず状態だ。はじめはル・アーブルを基点に北欧、イギリス、オランダからのルウイェイ、アイスランドなど巡航、主にフランス語を話す人々を対象に営業を進めていたが、クルーズ業界は甘くなかったようだ。今はマルセイユに停泊し2月末まで計画を練り直しをしている。頑張れ!ルネッサンス。  


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2024年01月26日

クルーズ船 危うきに近寄らず  

スラム武装組織フーシ派による商船強奪映像は強烈な印象を残している。スエズ運河を経て紅海・アラビア海・インド洋を通航するルートは貨物船のみならずクルーズ客船にも大切な航路だが、客船は襲わないというテロ組織の保証はない。

悪しくこの海域の配船に力を入れていたMSCは、船客と乗員の安全こそ最優先として紅海クルーズを全て取りやめた。予定していたのはMSCスプレンディーダ(船客定員3,400)の4月3日出発ダーバン→ジェノアのクルーズ。MSCビルツオーサー(船客定員6,300)の3月30日出発ドバイ→サザンプトンのクルーズ。MSCオペラ(船客定員2,040名)の4月21日出発ドバイ→ジェノアのクルーズ。遠回りすれば燃料代も余分にかかり、クルーズ料金は加算されるだろう。他社もこれに追従するに違いない。  


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2024年01月23日

コンステレーションでノロ発症100名! 


型コロナウイルスの大流行で、ここ数年かげをひそめていたノロウイルスが目覚めたようだ。アメリカ版美食の船を喧伝するセレブリティ・コンステレーションは1月3日フロリダを出てニューオーリンズからメキシコへ向かっていたが船内でノロウイルス感染者が発生した模様。USA TODAYによれば嘔吐と下痢症状の感染者は乗客2,056名中92名、クルー8名だという。おそらく感染者たちは自室に隔離され食事は毎回運ばれる簡素なものになっただろう。美食など夢の夢でしょうな( …… )。
  


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2024年01月19日

ダイヤモンド・プリンセス定期検査  



回にっぽん丸のプロペラシャフト故障の話をした。にっぽん丸に限らず、大勢の客を乗せるクルーズ船は定期検査が義務づけられている。日本でおなじみになったダイヤモンド・プリンセスもそうだ。同船は現在シンガポールを起点に東南アジア海域で就航しているが、何しろ2004年生まれの船だ。にっぽん丸よりちょっと若いが油断はできない。19日帰港して乗客を降ろせばそのままシンガポールの乾ドックに直行し3週間ほど検査と手入れを受けた後、安全快適なクルーズを目指して2月6日に出航、日本海域へやってくる。  


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2024年01月16日

やっぱし、そうか 


室ではまるでトトロに添え寝されているような騒音だ、と昨秋「にっぽん丸初乗り記」に書いたけど、あれはボクの大袈裟話でなかったことが証明された。 年明け早々にっぽん丸は機関不調にみまわれた。左側の推進軸の異常らしい。そこで12日スタートの初旅クルーズを一旦キャンセルした。それから点検修理を受け、9日に試験運転の結果不調を解決、初旅クルーズは予定通り催行できることになった。メデタシメデタシ。無理もない。1990年生まれのにっぽん丸だ。当年とって34歳、人間なら還暦相当だもの。もう世界一周は無理かもね。  


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2024年01月11日

今年も巨船ぞくぞく  

2023年度のクルーズシップ・オブ・ジ・イヤーズを、なんとMSCベリッシマの販促チームがゲットした。船そのものは就航5年生だけどコロナ騒ぎで青息吐息の業界を「日本寄港最大船」の」売り言葉で強力に牽引した腕力が評価されたのか。ともあれ17万トンは強かった。


さても南京玉すだれ、ではないけど世界のクルーズ業態は、巨船組と豪華小粒組に大別されてきたかと見える。航空業界では巨人機ジャンボジェットやエアバスA380は集客に苦戦して振るわないが、船と旅客機では旅行形態が違うから「薄利多売」が有効らしい。ラグジュアリーとかセレブリティという言葉にこだわらなければ、カジュアルな巨船ならほぼ同じ旅を半額以下で体験できるのだから。

いうわけで今年もSMCベリッシマよりずっと大きくてずっと新しい巨船が続々ととデビューする。話題の筆頭はロイヤル・カリビアンの巨船アイコン・オブ・ザ・シーズ。25万8百トンで世界最大の巨体。最上階デッキはさながら水遊びレジャーランドのおもむき。28カテゴリーある客室に5,610名の乗客を収容する。(大きなお世話だが乗下船時の混雑ぶりが思いやられる)ロイヤル・カリビアンではアイコンに半年遅れでもう1隻の巨船ユートピア・オブ・ザ・シーズを就航させる予定。こちらはやや小さくても乗客は5,714名で船と港の混雑ぶりは変わらないだろう。

きさではアイコンに及ばないがプリンセスの新造船もでかい。2月デビューのサン・プリンセスは同社史上最大で17万5千トン:乗客定員4,300名,さらにLNG焚きの低公害エンジンが売り物だ。プレミアム級船のプライドか、レジャーランド化は控えめだが、最上階前方にアイコンみたいな大展望ラウンジ(?)を設けている。あれ、巨船の話でいっぱいになってしまった。新造ラグジュアリー船の話は別の機会にしようね。  


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2024年01月05日

クルーの世界 衣食住の話 

年中クルーズ船に乗っているクルーたちはどんな生活をしてるんだろう。前回は給金の話で終わったが、今回は衣食住を探ってみよう。ただし、これはインターネットで得た情報であることをあらためてお断りする。




最初に住い。専用の個室をもつ船長や機関長ら上級職員と異なり、千人余もいる一般クルーは大小の「大部屋」暮らしだ。近くに窓があればラッキーで、窓のない下層階が多いようだ。ただし最近の超10万トンの大型船は二人部屋や四人部屋もあるらしい。




専用ベッドは二段式、余分な調度品はない。潜水艦よりもやや広く、布カーテンの仕切りで辛うじてプライバシーを保ってる。小さな机やトイレ、シャワーは数人で共用。これを見るとピースボートの4人部屋がゼイタクにみえる。クルーはここで半年ほど暮らし、数ヶ月の連続休暇をとるのだろう。

Mess Room(メス・ルーム)と呼ばれる食堂は居住区近くにある。通常はセルフサービス式で、船客の朝食と同等レベルの食材の献立だ。船客と同じブッフェで食事する制服のクルーも見かけるが、それはその資格が認められたクルーに限る。Messの近くには休息空間もある。質素だがビジネスホテルのロビー並みの調度があり、ソファで同僚たちと歓談できるし、ちょっとした集会も可能だ。その一画にはパソコンや銀行の出金マシンなどがあった。なかには(1個につき25セント硬貨4枚入れろ)と表示されたコンドームの自動販売機の映像もあった。船によってはクルー専用のバーやゲームマシン、ジャグジー・バス、露天プールを備えているようだ。

居住区の一画に洗濯乾燥マシンが多数ある。クルーのほとんどは勤務中制服姿だが、私物の下着、靴下などは自由時間に自分で洗濯するのだろう。制服の修理は専門係がいるようだ。驚いたのはジムだ。様々なマシンが20台ほど林立していた。以前にっぽん丸に乗ったとき、小さな体育室にマシンが数台あったが対照的だ。外国船のクルーたちはアスレチックに熱心のようだ。

以上ネットで垣間見たクルーの生活環境でした。近頃は傭兵を志願する日本の若者もあると聞く。外国船に乗って働きたい人がいても不思議ではない。しかし外国船勤務は誰でも自由にはできない。Merchant Marine Credential (商船員資格)や Transportation Worker Identification Credential (運輸労働者身分証明書)などが必要だという。残念ですね。





  


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2023年12月29日

クルーの世界 まず給料の話 

ルーズ船の「船内見学ツアー」に参加したことがある。ブリッジや調理場などは定番コースだが、乗組員の居住区に近ずくと、なぜか案内人が入口で足止めをして中を見せてくれなかった。船長や幹部と食卓を囲むことはあっても、一般のクルーと食事をする機会はまずない。同じ船に乗っていても彼らと親しく会話することはほとんどない。それで以前からクルーの船内生活ってどんなだろう、と強い興味をもっていた。インターネットは便利なものだ。ふとしたはずみでCrew Centerや#SHIPLIFEなどクルーの情報がわかるサイトを見つけた。ここではクルーたちが日常過ごす空間や休憩時間を仲間と息抜きする場所、それに給料まで知ることができる。


ルーといっても月給1万ユーロ以上をもらって専用個室に居る船長や機関長ら高級士官は別格である。ボクの関心は客室係、甲板員、見習いコック、ウエイターなど船客が日常接する身近かなクルーだ。まず賃金からみてみよう。ちなみに各社の見習いウエイターの月給は次の通りだった。

MSCの$816 からコスタが$850は安い方。カーニバルが$945、NCL$1330、$オーシャニアの$1350、プリンセスが$2130、ディズニーが$1160、ヴァージンが$2000、と似たような業務でも会社によって格差がある。同じような仕事でもバーテンダーは少し高いらしい。コスタは$1024、ロイヤル・カリビアン$1447、ウインドスターはなぜか$2500と高額。後でふれるがチップの余禄も期待できる職場だ。

室係の見習いスチュワードだと$1050('クリスタル)だが、マネージャーになると$2310(カーニバル)、昇級の道があるようだ。他にクルーズ船にはいろいろなサービス業務があり、劇場ステージの音響機器担当員が$1600(コスタ)から$2400(バイキング)、売店の店員なら$677(MSC)から$1000(ヴァージン)。水泳指導員(警備係も兼務?)$1200(プリンセス)から$1800(ディズニー)。画廊の販売係$1500、画廊のマネージャー$3900やカジノの副支配人$3750(ロイヤル・カリビアン)などは知識と経験に加え扱い金額が多いからなのか。船乗りの正統派である甲板員(Able Seaman)はカーニバルが$2100、HAL$1100、P&Oオーストラリア$2500、MSC$1557、NCL$2120といった具合でデコボコがある。

て外国船ではクルーは賃金と別にチップがもらえる。調理場のコックや甲板員、機関部員など客と接する機会のないクルーもチップは分配されると聞く。船客は下船時に1名1泊あたり@$14.50(上級船室は割増金あり)の割合でチップを支払い、それは全クルーに分配されるようだ。問題はその分配方法が船ごとに異なり、残念ながら最終金額はわからない。機会があったらクルーから直接聞いてみたい。今回はお金の話で紙数が尽きた。次回はクルー達が日常生活する場所の話をしてみたい。



  


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2023年12月22日

愛逹魔都号いよいよデビュー  

国で最初の大型クルーズ船アドラ・マジックシティ(13万5千トン)が竣工し、造船所を出て上海港で最後の仕上げ工事を受けている。


魔都号はカーニバルグループからビスタ級の図面提供を受け、中国の造船所で施工されたもの。外観に特別な新鮮味はないが、西側先進国が作るものなら我が躍進中国はなんでも出来る、という大国の鼻息が感じられる。乗客定員は5,241名で20万トン並み。クルーは世界30ヶ国から集められた1,300名でお世話をするという。以前シンガポールでスーパースター・ヴァーゴ(7万トン級)に乗ったことがある。乗客のほとんどが中国系の人々で船内の騒々しさに閉口した記憶がある。最近はマナーもよろしくなっただろうね。魔都号は2024年元日を期して上海の呉淞江国際クルーズ・ターミナルから処女航海に出発する。きっと日本の港でも見る機会があるだろう。
  


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2023年12月15日

「黒い海」は未完だ  

い本を読んでしまった。題名は 黒い海 「船は突然、深海に消えた」(伊澤理江著 講談社刊)

のはじまりは2008年6月23日の朝だった。福島県いわき市の漁業会社酢屋商店に所属する網船第58寿和丸(すわまる)は太平洋でカツオの群を追っていた。第58寿和丸は135トン、乗組員は船長以下20名だ。漁は網船が中心で他に魚群を見つける探索船と獲った魚を港へ急送する2隻の運搬船の計4隻がチームを組んでいる。このところ連日休みなしの作業が続いていた。仲間の疲労を配慮した船長は、穏やかな海況を利用して全員にしばしの休息をとらせることにした。船は風上にパラシュート・アンカーを入れ、穏やかな波のうねりに乗って漁師たちは束の間の休憩時間をとっていた。事件はそのときに起きた。

然突き上げるような衝撃を受け、第58寿和丸はよろめいた。続いて第二波の衝撃があり網船は大きく右に傾斜した。あっという間に浸水がはじまり第58寿和丸は数分の間に沈没した。油が浮かぶ黒い海に投げ出され救助された3名を除き、船長以下17名が船と運命を共にした。現場は犬吠埼から300kmはなれた太平洋。水深5,000m余の地点である。沈没の原因は何か?。当局と専門家の事故調査委員会が調査に着手し、三年後に「転覆の原因は波」であった、という事故調査報告書が公表された。

58寿和丸沈没事故から11年後、著者の伊澤理江は別の取材で福島県いわき市を訪れ、偶然に第58寿和丸の関係者に出会う。伊澤は英国のウエストミンスター大学大学院ジャーナリズム学科修士課程を修了。英国の新聞社、PR会社を経たフリージャーナリストだが、船はもちろんのこと漁業や海事の知識はない。第58寿和丸の転覆原因を追求するため初歩からの勉強と調査を重ねてた。そして到達した疑惑の焦点が「潜水艦」だった。1970年以降、世界の海で発生した潜水艦による事故が30件も(これ以外にも確たる証拠のない事故もあるに違いない)発生しているという。この本を読んで、世界の海底では人知れない争いが頻繁に起きているのではないか、という積年の疑惑にようやく光が当てられた印象だ。だが第58寿和丸沈没の原因は依然として「波」のままである。著者の追求はまだ終わっていない。





  


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2023年12月11日

よみがるか パシビ…  

12月9日付のCruise Industry Newsが元パシビことぱしふぃっく・びいなすが中国に向けて航行をはじめた、と伝えた。

1998年デビューの元パシビはコロナ禍のあおりを受け昨年12月に営業を廃止し、2023年1月から神戸港で休眠状態にあった。一年間近い求職活動の結果か、先ごろイースタン・ビーナスと改名し、パナマ国籍を示す旗を掲げて日本を離れた。めざす目的地は中国の煙台あたりと思われる。新しいオーナーについての発表はない。まだスクラップにされるのはちと早いだろう。  


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2023年12月08日

大船も海がシケたら…  

このところブログも開店休業状態が続いたところにスピリット・オブ・ディスカバリー(5万8千トン)の海難ニュースを見つけた。ちょっと時間が経ってしまったけど、この際だから紹介します。

ピリット・オブ・ディスカバリーはイギリスのサガ・クルーズ保有船。サガは日本ならさしずめ郵船クルーズか商船三井クルーズのようにもっぱら英国人客が対象だ。営業方針で「お子様お断り」や「シングルユースさま歓迎」をかかげる大人相手のクルーズ会社ともいえる。創業は1997年でいわゆる「しにせ」ではないが、発足時からサガフィヨルドやビスタフィヨルド、オイローパなど往年の名客船(むろん中古船だったが)を買い集めてリストアしたもの。つまり客船の名球会みたいな会社。(ボクはキュナード在籍時代のビスタフィヨルドに乗ったことがある。イスタンブールからベニスまでの旅だったが、ふねのなかは古臭いわりにクルーも客もプライドが高い印象だった:閑話休題)

ころでスピリット・オブ・ディスカバリーは探検クルーズ分野にも進出を図るサガが初めて手にした新造船だった。今回はカナリア諸島14日間クルーズで10月24日にポーツマスを出港し、カナリア諸島の島々を廻ってポーツマスに戻る予定だった。平穏な船旅は後半になって変わった。海況を予測した船長は予定のラス・パルマスを抜港してスペインのラ・コルーニヤに避難することを決め、ビスケー湾に向かった。しかし暴風圏は大陸に接近してきた為、ラ・コルーニヤの港湾当局は港を閉鎖し船の入港を禁止通告を発表した。避難先を失ったスピリット・オブ・ディスカバリーは、やむなくビスケー湾で暴風雨と戦いながら天候の回復を待った。その時の海況は波高9m、風速は50マイル/hだった。約1000人の乗客たちは18時間のあいだ荒れる海上でシェイクされ続け、およそ100人が重軽傷を負ったという。海がシケたら大船も小舟も変わりないなあ。  


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2023年11月24日

にっぽん丸初乗り記 最終回 「また乗りたいね」

あっという間の三泊四日が過ぎた。にっぽん丸は秋晴れの朝の海を母港東京めざして進んでいた。いまでは小型船の部類になったにっぽん丸だが、四日間では船の全てを体験することはできない。この船には当世はやりの洋上テーマパーク的な演出はない。だが「出船のドラ」が象徴するように、ノスタルジックな船旅を大事にする配慮がある。毎度の食卓を期待させる美食の演出がある。「おもてなし」の実践が何よりも大切なことを、クルー一同が心得ている。


航海二日目の朝、甲板を散歩した。前夜はちょっとした波と風でだいぶ潮をかぶったらしい。甲板員がホースとブラシで船体を洗っていた。遊歩甲板の手摺は傷やニスの剥がれもない。30年余の船齢を感じさせない手入れの良さだ。船も人間と同じこと。歳をとれば騒音振動、配管故障など不具合が生じるのは仕方がない。数年後には2隻の新造船が誕生するという。それまでは老齢にっぽん丸とミツイ・オーシャン・フジがスクラムを組んで頑張るのだろう。大勢のファンを持つこのフレンドリーな船に、また乗りたいと思っている。
  


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2023年11月21日

にっぽん丸初乗り紀 その6 「美食の船」



何度も言うが、にっぽん丸に乗りたくなったのは「美食の船」というキャッチコピーを聞いたからだった。「うちは美食料理店です」などとは、なかなか言えない台詞だ。そのフレーズに半分惹かれ、半分危ぶみながらにっぽん丸に乗ってみた。



夕食は2階のメインダイニング「瑞穂」の1回目が指定だった。「瑞穂」はこの船の中でいちばん広いレストラン。指定時刻に行けば、まずまず窓側の二人席に案内された。大きな船では窓側席になかなか座らせてもらえないものだ。もちろん朝昼夕の利用も可能で、朝なら洋食ビュッフェも選べるが夕食は和食が主だった。この夕食が常連客から絶対的に支持されている。食材は季節に合った日本各地の産品が選ばれる。ちなみに乗船二日目の夕食のメニューは次の通り。

前 菜  無花果の白酢かけ 肝入り松風 メゴチ唐揚け 北寄貝と葱の炒り玉子
椀替り 穴子の飯蒸し山葵餡
お造り 三重産鰆 愛媛産シマアジ
盛合せ 銀鱈西京焼き 甘海老とシメジの紅葉和え エシャレット金山寺味噌
煮もの 合鴨治部煮
お食事 富山県産コシヒカリ 茸と浅利の炊き込みご飯
    冬瓜のすり流し 鱧(白ごはんもご用意しております)
    香のもの 茄子漬 人参いぶりがっこ
デザート抹茶ババロア仕立て 柿 巨峰
飲み物 日本茶(ほうじ茶)
(コーヒーエスプレッソ、紅茶も可。但し別料金)

メニューは九品〜十品で毎日変わる。三日目の夕食ではズワイガニと帆立貝がメインになった。調理と味付けは素晴らしい。ナイフとフォークでなく、箸で食べられる。味付けは洋風とも言える。緑茶でなくほうじ茶が似合う感じだ。盛り付けに小さな紅葉の葉が添えられていたが、紅葉未だ訪れぬ季節、料理人さんの苦心が偲ばれる。量的には西欧人には少量かもしれないが、通常の日本人、特に中高年の客には充分である。ボクは利用しなかったが、「瑞穂」では早朝と深夜も軽食がとれる。ただ和食の素晴らしさと比べ、デザートやパンの種類と中味が少々負けている感じが気になった。パテシエさん、頑張ってください。にっぽん丸には6階にもオーシャンダイニング「春日」がある。こちらは瑞穂より少し狭い。夕食が主体らしく朝と昼は不定期だ。

7階のプールサイドにリドグリルがある。ホットドッグやハンバーガーとソフトドリンクが無料だ。ドッグもバーガーも手の平に収まるほど小さい。若者なら三つも食べないと物足りないだろう。ここの売り物はゴディバのショコリキサーだ。これを目当てに列が出来る時間帯がある。


他に無料で利用できるレストランやカフェは、6階ラウンジ「海」があるが利用できる時間帯があるからご注意。有料施設では寿司バー「潮彩」(6階)、eカフェ(ライブラリー内)があるが利用しなかった。いずれにせよカフェとレストランは1週間程度のクルーズには充分すぎる数だ。朝食で洋食ビュッフェを食べていた老女が、突然中座してカレーライスも運び込みながら言った。「ここのカレーは美味しいのよ」いや、ご健啖で何よりです。


  


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2023年11月19日

にっぽん丸初乗り記 その5 「居心地の良いライブラリー」

昔から客船は図書室(ライブラリー)をおろそかにしなかった。インターネットもDVDもない時代、図書は海の長旅の必需品だったし、本好き乗客たちの交流の場でもあっただろう。ボクも本好き人間なので、乗船すると真っ先に図書室チェックをする。しかし、最近の新しい客船では(その巨体に関係なく)図書室が貧弱になってきた。なかには図書室が無い船もある。図書室よりもインターネットのWiFi環境の整備が優先されている。それも時代の流れだね。


ところでにっぽん丸のライブラリーは5階でブティックや日用品ショップと軒を並べている。空間はカギの手型だがブティックにショップをプラスしたより広く椅子の配置もゆったりだ。ここにはカフェ(有料)もある。





蔵書は豊富だ。船客が読み終えた本を寄贈したものもあるようで、ベストセラーや新刊小説も多い。ここで読んでも自室に持ち出しても良い。返却は指定場所に置けば司書の人が正しい書棚に戻してくれる。本は常に正しい分類で並んでいる。


本のほかサライや家庭画報などの最新月刊誌や新聞も揃っている。係員は常時いる様子もないが、全ての書籍がきちんと整理されている感じが心地よい。本を読むためにこの船に乗ってもいいかな、と思える。飾られた大きな帆船模型はいかにも洋上図書館らしい雰囲気である。

最終航海日の午後、ビンゴゲーム大会に参加した。会場のドルフィン・ホールには乗船客のほとんどが出席してるほどの盛況。クルーが演じる進行役やヘタクソな「南京玉すだれ」に満場大笑い。豪華景品も有名タレントも不要である。いつしか参加者全員がひとつになって盛りあがる様子を見てボクはふと気づいた。これが「にっぽん丸ファンクラブ」なんだ、と。ちなみにボクのビンゴの成果はゼロ。ツキはありませんでした。
  


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2023年11月17日

にっぽん丸初乗り記 その4「みなと出船のドラの音たのし」


さて、宮古港の藤原埠頭で予定の時間を過ごしたにっぽん丸は午後5時の出航時間を迎える。埠頭では市長さんはじめ、一般市民、地元中学校の吹奏楽部メンバーや怪しげな着ぐるみまでが集まり、賑やかな歓送セレモニーを繰り広げた。写真は宮古に接岸中のにっぽん丸。この角度からみるとキュナードの船みたいに見えるのは贔屓目すぎるかな。

にっぽん丸のボートデッキにも乗客が集まり宮古市民の見送りに小旗を振って応える。最近の地方港でよく見かけるなごやかな風景だ。やがて出航時刻。甲板の彼方から賑やかな鐘の音が聞こえてきた。東京出港では見逃した出船のドラだ。

かつて岡晴夫がヒット曲「あこがれのハワイ航路」で♪みなと出船のドラの音たのし、と歌っていた、あのドラだ。慌てて撮った写真がこれ。昔は詰襟に金ボタンの制服を着た給仕君がドラを叩いて廻ったものだが、いまはご覧の通りコロナ対策のマスク姿だ。情緒がないねえ。けど、いまどき出船のドラを鳴らす外国船はないだろう。にっぽん丸は今も頑固に出船のドラの風習を守ってるのだ。

にっぽん丸初乗り記はもう少し続きそうです。  


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2023年11月14日

失敗、失敗


前回のブログで宮古湾海戦の立役者「甲鉄」と「回天」の絵を書いた。どちらも資料を確かめず気楽に描いて、あとで大きなミスに気が付いた。甲鉄のマストは二本だったらしい。回天の姿も怪しいけど今は確かめようがないので直しません。

問題は甲鉄が載せていたと言われるガトリング砲はどこに設置されていたのか、わからない。ボクは前檣のトップボードじゃないかと思うけど、自重60kgもあったと言われるガトリング砲だからなあ。とするとブリッジの辺りかな。わからない。というわけで今は甲鉄のイラストだけ訂正します。  


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2023年11月13日

にっぽん丸初乗り記 その3「宮古湾海戦記念碑巡り」

トトロに添え寝されたような騒音と揺れの一夜が開けた。にっぽん丸のこの騒々しい機関騒音は船齢から来るものか。外を見ると薄曇りの宮古湾にゆっくりと進入していた。今回にっぽん丸乗船をきめた理由は「美食の船」体験だと書いたが、実はもうひとつ目的があった。それは宮古湾海戦の戦跡を観ることだった。


宮古湾海戦は1868年(明治2年)3月、ここ宮古湾に停泊していた八隻の、明治新政府艦隊を旧幕府海軍の軍艦「回天」がただ一隻で奇襲攻撃をかけた戦いだ。今から150年も前の宮古港には現在のような防波堤も埠頭もない。ボクは150年前の港を想像しながら船首に立ち、回天艦長になった気分で入港シーンを眺めてみた。


宮古市内にはこの海戦を記録した記念碑が八ヶ所以上ある。船は11時に入港、17時出港だから正味4時間ほどの上陸時間しかない。歩いていてはとても廻れない。ボクはタクシーの運転手さんに相談する。行きたい場所を示し順路は運転手さんに任せた。運転手さんも海戦記念碑のことをあまり知らないようで、運転手仲間に聞きながらの探索行になった。宮古の自慢は浄土ヶ浜、運転手さんだってきれいな観光地を見せたいだろうね、本当は。


なんとか浄土ヶ浜を見下ろす林の中で最初の記念碑を見つけた。昔の砲架を模した石碑。解説文は読みにくい状態だ。あとで写真判読することにして次の記念碑探しにかかる。急げ急げ。





記念碑は宮古湾を見下ろす景勝地を選んだのかと思ったが、湾岸防衛用の台場跡かもしれないと気づいた。(中には市内の神社の境内に設置された記念碑もあった)記念碑のほとんどが新政府側戦死者の慰霊碑だったが、旧幕臣戦死者の慰霊碑も一基あった。ここでも清水港の咸臨丸事件のような「官軍の威光」を恐れた無慈悲な仕打ちがあったのだろう。


港を見下ろす臼木山は砲台設置場所として絶好だ。桜の名所で春は花見で賑わうそうだが、いまは人影もなく寂しい。近頃話題のクマが出没しぞうな山。ボクの不安げな顔を見て、駐車場にいた運転手さんが車から降りて同行してくれた。ホッ〜…。



宮古湾海戦は江差で「開陽」を失った榎本艦隊が新政府軍の装甲艦「甲鉄」の奪取を謀った「回天」の決死的作戦だった。当初箱館を3隻で出撃したが、途中で「蟠竜」が機関故障を起こし、もう1隻の「高雄」は霧で迷子になり、やむなく「回天」1隻での決行になった。切込み隊長は元新撰組副長の土方歳三。政府側軍艦「春日」の砲術士官は若き日の東郷平八郎がいた。外輪船のため舷側接舷が不可能な「回天」は船首からTの字型で「甲鉄」に乗り上げた、という。しかし30分間ほどの銃撃戦で双方数十人の死傷者を出し戊辰戦争の天王山になった歴史の一コマだった。「回天」と「甲鉄」については別の機会に書いて見たい。


結局ボクはクマの目を盗んで四ヶ所の記念碑を巡ることができた。記念碑そのものは無言だけれど、高みから宮古湾を見下ろすと新政府艦隊に単騎挑戦した「回天」の悲壮感が伝わってくるような気がした。タクシーのおかげでボクは出港前のにっぽん丸に余裕で戻ることができた。それにしても停泊時間が短いよねえ、商船三井クルーズさん!

  


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2023年11月03日

にっぽん丸 初乗り記 その1 [東京有明埠頭」  


乗ってきましたよ にっぽん丸に。ボクにとっては飛鳥(初代)以来の日本船クルーズだから歴史的出来事だ。今回は東京港から岩手の宮古、宮城の石巻をめぐって東京に戻る3泊4日のショートクルーズ。この日、にっぽん丸は折から東京モビリティショー(つまり自動車ショー)でにぎわうお台場の新設国際クルーズターミナルではなく、有明埠頭のはずれにひっそり接岸していた。(写真は本船でいただいた絵葉書を使用。今回のクルーズのものではありません)

仮設テントで乗船券をみせ簡単な手続きを済ませ、短いギャングウエイをすたすた歩いて二階デッキから乗船した。ホールには吹き抜けも無ければキラキラ輝く飾りもないが、整列したクルーたちの満面の笑みと明るい声が出迎えてれた。そう、外国人クルーの顔もまじえ、ちょうど温泉町の老舗旅館の玄関に着いたような、あの温かな雰囲気だった。


ボクら一般客室の乗船受付時刻は午前10時からで、出航時刻は午前11時。まるでシールズの特殊作戦に参加したような忙しさ。とても下船して写真を撮ってるヒマはない。おきまりのボートドリルで甲板に招集されたときには曳き船が本船を引っ張りはじめていた。

それでも乗船口ではAPPというグループが賑やかな歌声で出航気分を盛り上げる。ボクは「伝統のドラ叩き」を撮ろうと待ちかまえていたが失敗した。定刻、にっぽん丸は有明埠頭を静かに出航、晴天の浦賀水道を抜け、野島崎をかわし夕焼けが美しい太平洋を北上。しかし夜は波が高まった。ボクらの部屋は3階だ。2軸のシャフトが回る振動と騒音に慣れるまで三日三晩必要だった。にっぽん丸のショートクルーズの話、これから数回続けます。

  


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2023年11月02日

にっぽん丸初乗り紀 その2 「ホライズン・ラウンジ」

にっぽん丸に乗る、とブログに書いたら、ちょっとしたハプニングが始まった。三郎さんが(ミー・ツー)と言ってきた。三郎さんは、もう長いことボクのブログの熱心な読者だ。気安く三郎さんと呼んでるが、お目にかかったことはないし、本当の名前も住まいもメールアドレスも知らない。まあ、にっぽん丸の中なら見つけられるだろう、とタカをくくり三郎さんの提案通り出航日の4時にホライズン・ラウンジで会うことにした。

4時少し前ボクはホライズン・ラウンジに行った。ここは7デッキの最先端にある展望サロン。ちょうど操舵室の真下にあたる。ここから前方を眺めていると船長の気分になれるので人気があるようだ。折から立派な体格の男性が正面席に座り双眼鏡を使っていた。(この人が三郎さんかな?)しばらく観察してから「失礼ですが…」と尋ねたが違った。まるでスパイ小説のMI6の連絡員になったみたいでドキドキでしてきた。

そして約束の時刻ピタリ、一人の男性が席を立ちボクの方に歩み寄った。「三郎さんですか?」「そうです」というわけでランデブーは成功。先ほどの双眼鏡の男性は、なんと三郎さんの知人で、やはり船好きのIさんだった。奇遇です。三郎さんもIさんも以前は船乗りだったそうで、今回は奥さんを残しての単身旅行。このあと船好き三人の話は大いに盛りあがった。


ホライズン・ラウンジでは無料でコーヒー紅茶が頂ける。この日、ボクの紅茶にはケーキまで付いてきた。嬉しくなって翌日もいったらコーヒーだけだった。どうやらサービス時間があるようだ。ラウンジの左舷側はバーでお酒が飲める。ただし有料デス。写真はホライズンに続く回廊。大きな丸窓が並ぶあそこです。秋野不矩さんの絵を思いだすね。(初乗り記 次回に続きます)  


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2023年10月27日

ノルウエイジャンもがんばる  


で清水港近くを通りかかったら、波止場の上屋越しに大きな船のエントツが見えた。これは見逃せないと埠頭へ寄るとNCLのノルウエイジャン・ジュエルが接岸していた。9万3千トン、乗客定員2376名だが近くで見ればでっかいなあ。東京発着で西日本周回の帰路らしい。近年流行のボディアートがちょっと、ねえ。いかにもカジュアル船の雰囲気だ。でもボクはNCL系のプライド・オブ・アメリカに乗ってから、気軽で割安のカジュアル・クルーズも悪くないな、と思ってる。

 のところNCLから宣伝メールがじゃんじゃん届く。先回のブログでHALの53日間太平洋周回クルーズの話のなかで(せめてアラスカー日本、日本ー南太平洋経由シアトルの分割クルーズにならないか)と書いたが、NCLには分割コースに近いものがあった。例えば来年4月、東京発で石巻、函館、青森、ダッチハーバー、コディアック、ホーマー、スワード(アラスカ)の12日間クルーズだ。しかも料金は(期限限定ネット申込で)インサイドルームなら$684(約10万円)、オーシャンビューで$834(約13万円)という大廉売。アジアの皆さんNCLも忘れないでね、とばかり日本市場進出の意欲満々プライスだ。来年以降にはノルウエイジャン・スカイやノルウエイジャン・スピリットもアジア市場に投入して、これまで競合他社になかったクルーズを提供しようとしている。プリンセスやコスタ、MSC,、HALが広げた日本のクルーズ市場は、これからはますます競争が激しくなることが間違いなさそうだ。

 ころでボクは明日東京港からにっぽん丸で東北ショートクルーズに出かけます。船ではブログ読者の三郎さんと会えるのが楽しみですが、船から降りたらクマに出会わないよう気をつけます。来週のブログはお休みだな。  


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2023年10月22日

HALのパンパシフィック・クルーズ  

クルーズ船トラッキング・サイトを見ると、まるで顕微鏡で見るウイルスみたいに船が世界地図を埋めつくしていた。聞くところによると世界で稼働中のクルーズ船は200隻以上あるそうだ。だから健康でお金と暇さえあれば、クルーズ選びほど胸おどらせるものはない。先日HAL(ホーランド・アメリカ・ライン)がまた悩ましいクルーズ案を発表した。


新しい試みの始点はシアトルで来年の9月スタートだ。船は8万トン・ビスタ級の中型船になるだろう。コースはシアトルからインサイド・パッセージを経てアラスカへ向かい、ジュノー、シトカ、コディアック、ダッチハーバーに寄って北太平洋を日本をめざす。日本では釧路を手はじめに函館、横浜、神戸、高知、広島、博多、長崎、境港、金沢、石垣島、那覇など秋の列島各地をめぐるとか。復路は南太平洋の硫黄島やミッドウエイ諸島に接近してからカワイ島、マウイ島、オアフ島に寄港したのちシアトルに戻るのべ53日間の旅になる。

料金や日程などくわしい情報はまだわからないない。アラスカやハワイはHALの手慣れたコースだ。また硫黄島やミッドウエイは滅多に近づけない海域で日米のシニア世代には忘れられない歴史ポイントだろう。船はウエステルダム かノールダムなら上等だ。歳をとるとあまりケバい船や騒々しい船は遠慮したい。HALの落ち着いた船内は長旅にぴったりだ。食事とサービスもプレミアム船への期待を裏切らないだろう。しかしザラ二ヶ月間近いクルーズだ。せめてシアトル乗船・日本で下船とか、日本で乗船シアトルで下船のように分割販売してくれるといいなあ。いや、それでも3週間のクルーズになるだろう。悩ましい、ナヤマシイ。

続報:上記の53日間クルーズは HALからMAGESTIC JAPANという名称と料金が発表された。インサイド・ルームで$8,084(約120万円)オーシャンビューで$8,684(約129万円)ベランダが$12,084(約180万円)という。一日あたり@¥23,000はピースボートと比べてもべらぼうな金額ではない印象だ。日本人客向けには4月にウエステルダム があるからだろうが、マジェスティック・ジャパンは往路、復路の分割販売をしないょうだ。

P.S.先回のブログで「にっぽん丸に乗ります」と書いたら読者の三郎さんから「ボクも秋の絶景クルーズに乗る予定」とコメントが寄せられた。これはブログが結ぶ奇遇です。初日の午後、ホライズン・バーあたりでお会いして夕食をご一緒したいものです。


  


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2023年10月20日

MITSUI OCEAN FUJI

船三井クルーズが改名した。新しい名称はMITSUI OCEAN CRUISES。ついでに新しくチャーターした客船の名前もご披露した。船は元シーボーン・オデッセイで、新しい名前はMitsui Ocean Fuji(ミツイ・オーシャン・フジ)。(とつぜん頭に新しい帽子をのっけたみたいで、まだちょっとこそばそうだ)これで同社は2隻のクルーズ客船体制になる。

ツイ・オーシャン・フジはにっぽん丸より1万トンも大きい3万2千トン。なのに乗客定員はにっぽん丸とほぼ同じ450名。つまり船内の「人口密度」が低いのだ。ゆったりしたレストランが三箇所あり、屋外プールは二箇所にあるが、遊園地のような遊戯設備は一切ない大人の雰囲気を重んじる船だ。同船が三井の旗を掲げて就航するのは来2024年12月。翌2025年5月にはお披露目をかねて世界周航も計画中とのこと。ところでにっぽん丸の呼称はどうなるのだろう。ミツイ・オーシャン・にっぽん丸? 進行中の新造船二隻の名称も大いに気になるね。

ーボーン・オデッセイの三井移籍については以前このブログにとりあげた。その時、ボクは戯れにオデッセイの煙突をオレンジ色に描いたイラストを添えた。あれは完全に的外れだった。商船三井は新チャーター船を世界中のクルーズ客向けに提供しようとしてるんだね。長年つちかった日本式「おもてなし」で自信をもって世界のクルーズ界に参入する覚悟を感じる。このタイミングで、ボクは近々にっぽん丸に乗ってみることにした。久しぶりの日本船クルーズである。とても楽しみです。


  


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