2023年11月13日

にっぽん丸初乗り記 その3「宮古湾海戦記念碑巡り」

にっぽん丸初乗り記 その3「宮古湾海戦記念碑巡り」トトロに添え寝されたような騒音と揺れの一夜が開けた。にっぽん丸のこの騒々しい機関騒音は船齢から来るものか。外を見ると薄曇りの宮古湾にゆっくりと進入していた。今回にっぽん丸乗船をきめた理由は「美食の船」体験だと書いたが、実はもうひとつ目的があった。それは宮古湾海戦の戦跡を観ることだった。

にっぽん丸初乗り記 その3「宮古湾海戦記念碑巡り」
宮古湾海戦は1868年(明治2年)3月、ここ宮古湾に停泊していた八隻の、明治新政府艦隊を旧幕府海軍の軍艦「回天」がただ一隻で奇襲攻撃をかけた戦いだ。今から150年も前の宮古港には現在のような防波堤も埠頭もない。ボクは150年前の港を想像しながら船首に立ち、回天艦長になった気分で入港シーンを眺めてみた。
にっぽん丸初乗り記 その3「宮古湾海戦記念碑巡り」

宮古市内にはこの海戦を記録した記念碑が八ヶ所以上ある。船は11時に入港、17時出港だから正味4時間ほどの上陸時間しかない。歩いていてはとても廻れない。ボクはタクシーの運転手さんに相談する。行きたい場所を示し順路は運転手さんに任せた。運転手さんも海戦記念碑のことをあまり知らないようで、運転手仲間に聞きながらの探索行になった。宮古の自慢は浄土ヶ浜、運転手さんだってきれいな観光地を見せたいだろうね、本当は。
にっぽん丸初乗り記 その3「宮古湾海戦記念碑巡り」

なんとか浄土ヶ浜を見下ろす林の中で最初の記念碑を見つけた。昔の砲架を模した石碑。解説文は読みにくい状態だ。あとで写真判読することにして次の記念碑探しにかかる。急げ急げ。
にっぽん丸初乗り記 その3「宮古湾海戦記念碑巡り」




記念碑は宮古湾を見下ろす景勝地を選んだのかと思ったが、湾岸防衛用の台場跡かもしれないと気づいた。(中には市内の神社の境内に設置された記念碑もあった)記念碑のほとんどが新政府側戦死者の慰霊碑だったが、旧幕臣戦死者の慰霊碑も一基あった。ここでも清水港の咸臨丸事件のような「官軍の威光」を恐れた無慈悲な仕打ちがあったのだろう。
にっぽん丸初乗り記 その3「宮古湾海戦記念碑巡り」

港を見下ろす臼木山は砲台設置場所として絶好だ。桜の名所で春は花見で賑わうそうだが、いまは人影もなく寂しい。近頃話題のクマが出没しぞうな山。ボクの不安げな顔を見て、駐車場にいた運転手さんが車から降りて同行してくれた。ホッ〜…。


にっぽん丸初乗り記 その3「宮古湾海戦記念碑巡り」
宮古湾海戦は江差で「開陽」を失った榎本艦隊が新政府軍の装甲艦「甲鉄」の奪取を謀った「回天」の決死的作戦だった。当初箱館を3隻で出撃したが、途中で「蟠竜」が機関故障を起こし、もう1隻の「高雄」は霧で迷子になり、やむなく「回天」1隻での決行になった。切込み隊長は元新撰組副長の土方歳三。政府側軍艦「春日」の砲術士官は若き日の東郷平八郎がいた。外輪船のため舷側接舷が不可能な「回天」は船首からTの字型で「甲鉄」に乗り上げた、という。しかし30分間ほどの銃撃戦で双方数十人の死傷者を出し戊辰戦争の天王山になった歴史の一コマだった。「回天」と「甲鉄」については別の機会に書いて見たい。

にっぽん丸初乗り記 その3「宮古湾海戦記念碑巡り」
結局ボクはクマの目を盗んで四ヶ所の記念碑を巡ることができた。記念碑そのものは無言だけれど、高みから宮古湾を見下ろすと新政府艦隊に単騎挑戦した「回天」の悲壮感が伝わってくるような気がした。タクシーのおかげでボクは出港前のにっぽん丸に余裕で戻ることができた。それにしても停泊時間が短いよねえ、商船三井クルーズさん!




Posted by はじめ at 06:57│Comments(0)
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