2023年11月24日

にっぽん丸初乗り記 最終回 「また乗りたいね」

あっという間の三泊四日が過ぎた。にっぽん丸は秋晴れの朝の海を母港東京めざして進んでいた。いまでは小型船の部類になったにっぽん丸だが、四日間では船の全てを体験することはできない。この船には当世はやりの洋上テーマパーク的な演出はない。だが「出船のドラ」が象徴するように、ノスタルジックな船旅を大事にする配慮がある。毎度の食卓を期待させる美食の演出がある。「おもてなし」の実践が何よりも大切なことを、クルー一同が心得ている。


航海二日目の朝、甲板を散歩した。前夜はちょっとした波と風でだいぶ潮をかぶったらしい。甲板員がホースとブラシで船体を洗っていた。遊歩甲板の手摺は傷やニスの剥がれもない。30年余の船齢を感じさせない手入れの良さだ。船も人間と同じこと。歳をとれば騒音振動、配管故障など不具合が生じるのは仕方がない。数年後には2隻の新造船が誕生するという。それまでは老齢にっぽん丸とミツイ・オーシャン・フジがスクラムを組んで頑張るのだろう。大勢のファンを持つこのフレンドリーな船に、また乗りたいと思っている。
  


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2023年11月21日

にっぽん丸初乗り紀 その6 「美食の船」



何度も言うが、にっぽん丸に乗りたくなったのは「美食の船」というキャッチコピーを聞いたからだった。「うちは美食料理店です」などとは、なかなか言えない台詞だ。そのフレーズに半分惹かれ、半分危ぶみながらにっぽん丸に乗ってみた。



夕食は2階のメインダイニング「瑞穂」の1回目が指定だった。「瑞穂」はこの船の中でいちばん広いレストラン。指定時刻に行けば、まずまず窓側の二人席に案内された。大きな船では窓側席になかなか座らせてもらえないものだ。もちろん朝昼夕の利用も可能で、朝なら洋食ビュッフェも選べるが夕食は和食が主だった。この夕食が常連客から絶対的に支持されている。食材は季節に合った日本各地の産品が選ばれる。ちなみに乗船二日目の夕食のメニューは次の通り。

前 菜  無花果の白酢かけ 肝入り松風 メゴチ唐揚け 北寄貝と葱の炒り玉子
椀替り 穴子の飯蒸し山葵餡
お造り 三重産鰆 愛媛産シマアジ
盛合せ 銀鱈西京焼き 甘海老とシメジの紅葉和え エシャレット金山寺味噌
煮もの 合鴨治部煮
お食事 富山県産コシヒカリ 茸と浅利の炊き込みご飯
    冬瓜のすり流し 鱧(白ごはんもご用意しております)
    香のもの 茄子漬 人参いぶりがっこ
デザート抹茶ババロア仕立て 柿 巨峰
飲み物 日本茶(ほうじ茶)
(コーヒーエスプレッソ、紅茶も可。但し別料金)

メニューは九品〜十品で毎日変わる。三日目の夕食ではズワイガニと帆立貝がメインになった。調理と味付けは素晴らしい。ナイフとフォークでなく、箸で食べられる。味付けは洋風とも言える。緑茶でなくほうじ茶が似合う感じだ。盛り付けに小さな紅葉の葉が添えられていたが、紅葉未だ訪れぬ季節、料理人さんの苦心が偲ばれる。量的には西欧人には少量かもしれないが、通常の日本人、特に中高年の客には充分である。ボクは利用しなかったが、「瑞穂」では早朝と深夜も軽食がとれる。ただ和食の素晴らしさと比べ、デザートやパンの種類と中味が少々負けている感じが気になった。パテシエさん、頑張ってください。にっぽん丸には6階にもオーシャンダイニング「春日」がある。こちらは瑞穂より少し狭い。夕食が主体らしく朝と昼は不定期だ。

7階のプールサイドにリドグリルがある。ホットドッグやハンバーガーとソフトドリンクが無料だ。ドッグもバーガーも手の平に収まるほど小さい。若者なら三つも食べないと物足りないだろう。ここの売り物はゴディバのショコリキサーだ。これを目当てに列が出来る時間帯がある。


他に無料で利用できるレストランやカフェは、6階ラウンジ「海」があるが利用できる時間帯があるからご注意。有料施設では寿司バー「潮彩」(6階)、eカフェ(ライブラリー内)があるが利用しなかった。いずれにせよカフェとレストランは1週間程度のクルーズには充分すぎる数だ。朝食で洋食ビュッフェを食べていた老女が、突然中座してカレーライスも運び込みながら言った。「ここのカレーは美味しいのよ」いや、ご健啖で何よりです。


  


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2023年11月19日

にっぽん丸初乗り記 その5 「居心地の良いライブラリー」

昔から客船は図書室(ライブラリー)をおろそかにしなかった。インターネットもDVDもない時代、図書は海の長旅の必需品だったし、本好き乗客たちの交流の場でもあっただろう。ボクも本好き人間なので、乗船すると真っ先に図書室チェックをする。しかし、最近の新しい客船では(その巨体に関係なく)図書室が貧弱になってきた。なかには図書室が無い船もある。図書室よりもインターネットのWiFi環境の整備が優先されている。それも時代の流れだね。


ところでにっぽん丸のライブラリーは5階でブティックや日用品ショップと軒を並べている。空間はカギの手型だがブティックにショップをプラスしたより広く椅子の配置もゆったりだ。ここにはカフェ(有料)もある。





蔵書は豊富だ。船客が読み終えた本を寄贈したものもあるようで、ベストセラーや新刊小説も多い。ここで読んでも自室に持ち出しても良い。返却は指定場所に置けば司書の人が正しい書棚に戻してくれる。本は常に正しい分類で並んでいる。


本のほかサライや家庭画報などの最新月刊誌や新聞も揃っている。係員は常時いる様子もないが、全ての書籍がきちんと整理されている感じが心地よい。本を読むためにこの船に乗ってもいいかな、と思える。飾られた大きな帆船模型はいかにも洋上図書館らしい雰囲気である。

最終航海日の午後、ビンゴゲーム大会に参加した。会場のドルフィン・ホールには乗船客のほとんどが出席してるほどの盛況。クルーが演じる進行役やヘタクソな「南京玉すだれ」に満場大笑い。豪華景品も有名タレントも不要である。いつしか参加者全員がひとつになって盛りあがる様子を見てボクはふと気づいた。これが「にっぽん丸ファンクラブ」なんだ、と。ちなみにボクのビンゴの成果はゼロ。ツキはありませんでした。
  


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2023年11月17日

にっぽん丸初乗り記 その4「みなと出船のドラの音たのし」


さて、宮古港の藤原埠頭で予定の時間を過ごしたにっぽん丸は午後5時の出航時間を迎える。埠頭では市長さんはじめ、一般市民、地元中学校の吹奏楽部メンバーや怪しげな着ぐるみまでが集まり、賑やかな歓送セレモニーを繰り広げた。写真は宮古に接岸中のにっぽん丸。この角度からみるとキュナードの船みたいに見えるのは贔屓目すぎるかな。

にっぽん丸のボートデッキにも乗客が集まり宮古市民の見送りに小旗を振って応える。最近の地方港でよく見かけるなごやかな風景だ。やがて出航時刻。甲板の彼方から賑やかな鐘の音が聞こえてきた。東京出港では見逃した出船のドラだ。

かつて岡晴夫がヒット曲「あこがれのハワイ航路」で♪みなと出船のドラの音たのし、と歌っていた、あのドラだ。慌てて撮った写真がこれ。昔は詰襟に金ボタンの制服を着た給仕君がドラを叩いて廻ったものだが、いまはご覧の通りコロナ対策のマスク姿だ。情緒がないねえ。けど、いまどき出船のドラを鳴らす外国船はないだろう。にっぽん丸は今も頑固に出船のドラの風習を守ってるのだ。

にっぽん丸初乗り記はもう少し続きそうです。  


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2023年11月14日

失敗、失敗


前回のブログで宮古湾海戦の立役者「甲鉄」と「回天」の絵を書いた。どちらも資料を確かめず気楽に描いて、あとで大きなミスに気が付いた。甲鉄のマストは二本だったらしい。回天の姿も怪しいけど今は確かめようがないので直しません。

問題は甲鉄が載せていたと言われるガトリング砲はどこに設置されていたのか、わからない。ボクは前檣のトップボードじゃないかと思うけど、自重60kgもあったと言われるガトリング砲だからなあ。とするとブリッジの辺りかな。わからない。というわけで今は甲鉄のイラストだけ訂正します。  


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2023年11月13日

にっぽん丸初乗り記 その3「宮古湾海戦記念碑巡り」

トトロに添え寝されたような騒音と揺れの一夜が開けた。にっぽん丸のこの騒々しい機関騒音は船齢から来るものか。外を見ると薄曇りの宮古湾にゆっくりと進入していた。今回にっぽん丸乗船をきめた理由は「美食の船」体験だと書いたが、実はもうひとつ目的があった。それは宮古湾海戦の戦跡を観ることだった。


宮古湾海戦は1868年(明治2年)3月、ここ宮古湾に停泊していた八隻の、明治新政府艦隊を旧幕府海軍の軍艦「回天」がただ一隻で奇襲攻撃をかけた戦いだ。今から150年も前の宮古港には現在のような防波堤も埠頭もない。ボクは150年前の港を想像しながら船首に立ち、回天艦長になった気分で入港シーンを眺めてみた。


宮古市内にはこの海戦を記録した記念碑が八ヶ所以上ある。船は11時に入港、17時出港だから正味4時間ほどの上陸時間しかない。歩いていてはとても廻れない。ボクはタクシーの運転手さんに相談する。行きたい場所を示し順路は運転手さんに任せた。運転手さんも海戦記念碑のことをあまり知らないようで、運転手仲間に聞きながらの探索行になった。宮古の自慢は浄土ヶ浜、運転手さんだってきれいな観光地を見せたいだろうね、本当は。


なんとか浄土ヶ浜を見下ろす林の中で最初の記念碑を見つけた。昔の砲架を模した石碑。解説文は読みにくい状態だ。あとで写真判読することにして次の記念碑探しにかかる。急げ急げ。





記念碑は宮古湾を見下ろす景勝地を選んだのかと思ったが、湾岸防衛用の台場跡かもしれないと気づいた。(中には市内の神社の境内に設置された記念碑もあった)記念碑のほとんどが新政府側戦死者の慰霊碑だったが、旧幕臣戦死者の慰霊碑も一基あった。ここでも清水港の咸臨丸事件のような「官軍の威光」を恐れた無慈悲な仕打ちがあったのだろう。


港を見下ろす臼木山は砲台設置場所として絶好だ。桜の名所で春は花見で賑わうそうだが、いまは人影もなく寂しい。近頃話題のクマが出没しぞうな山。ボクの不安げな顔を見て、駐車場にいた運転手さんが車から降りて同行してくれた。ホッ〜…。



宮古湾海戦は江差で「開陽」を失った榎本艦隊が新政府軍の装甲艦「甲鉄」の奪取を謀った「回天」の決死的作戦だった。当初箱館を3隻で出撃したが、途中で「蟠竜」が機関故障を起こし、もう1隻の「高雄」は霧で迷子になり、やむなく「回天」1隻での決行になった。切込み隊長は元新撰組副長の土方歳三。政府側軍艦「春日」の砲術士官は若き日の東郷平八郎がいた。外輪船のため舷側接舷が不可能な「回天」は船首からTの字型で「甲鉄」に乗り上げた、という。しかし30分間ほどの銃撃戦で双方数十人の死傷者を出し戊辰戦争の天王山になった歴史の一コマだった。「回天」と「甲鉄」については別の機会に書いて見たい。


結局ボクはクマの目を盗んで四ヶ所の記念碑を巡ることができた。記念碑そのものは無言だけれど、高みから宮古湾を見下ろすと新政府艦隊に単騎挑戦した「回天」の悲壮感が伝わってくるような気がした。タクシーのおかげでボクは出港前のにっぽん丸に余裕で戻ることができた。それにしても停泊時間が短いよねえ、商船三井クルーズさん!

  


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2023年11月03日

にっぽん丸 初乗り記 その1 [東京有明埠頭」  


乗ってきましたよ にっぽん丸に。ボクにとっては飛鳥(初代)以来の日本船クルーズだから歴史的出来事だ。今回は東京港から岩手の宮古、宮城の石巻をめぐって東京に戻る3泊4日のショートクルーズ。この日、にっぽん丸は折から東京モビリティショー(つまり自動車ショー)でにぎわうお台場の新設国際クルーズターミナルではなく、有明埠頭のはずれにひっそり接岸していた。(写真は本船でいただいた絵葉書を使用。今回のクルーズのものではありません)

仮設テントで乗船券をみせ簡単な手続きを済ませ、短いギャングウエイをすたすた歩いて二階デッキから乗船した。ホールには吹き抜けも無ければキラキラ輝く飾りもないが、整列したクルーたちの満面の笑みと明るい声が出迎えてれた。そう、外国人クルーの顔もまじえ、ちょうど温泉町の老舗旅館の玄関に着いたような、あの温かな雰囲気だった。


ボクら一般客室の乗船受付時刻は午前10時からで、出航時刻は午前11時。まるでシールズの特殊作戦に参加したような忙しさ。とても下船して写真を撮ってるヒマはない。おきまりのボートドリルで甲板に招集されたときには曳き船が本船を引っ張りはじめていた。

それでも乗船口ではAPPというグループが賑やかな歌声で出航気分を盛り上げる。ボクは「伝統のドラ叩き」を撮ろうと待ちかまえていたが失敗した。定刻、にっぽん丸は有明埠頭を静かに出航、晴天の浦賀水道を抜け、野島崎をかわし夕焼けが美しい太平洋を北上。しかし夜は波が高まった。ボクらの部屋は3階だ。2軸のシャフトが回る振動と騒音に慣れるまで三日三晩必要だった。にっぽん丸のショートクルーズの話、これから数回続けます。

  


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2023年11月02日

にっぽん丸初乗り紀 その2 「ホライズン・ラウンジ」

にっぽん丸に乗る、とブログに書いたら、ちょっとしたハプニングが始まった。三郎さんが(ミー・ツー)と言ってきた。三郎さんは、もう長いことボクのブログの熱心な読者だ。気安く三郎さんと呼んでるが、お目にかかったことはないし、本当の名前も住まいもメールアドレスも知らない。まあ、にっぽん丸の中なら見つけられるだろう、とタカをくくり三郎さんの提案通り出航日の4時にホライズン・ラウンジで会うことにした。

4時少し前ボクはホライズン・ラウンジに行った。ここは7デッキの最先端にある展望サロン。ちょうど操舵室の真下にあたる。ここから前方を眺めていると船長の気分になれるので人気があるようだ。折から立派な体格の男性が正面席に座り双眼鏡を使っていた。(この人が三郎さんかな?)しばらく観察してから「失礼ですが…」と尋ねたが違った。まるでスパイ小説のMI6の連絡員になったみたいでドキドキでしてきた。

そして約束の時刻ピタリ、一人の男性が席を立ちボクの方に歩み寄った。「三郎さんですか?」「そうです」というわけでランデブーは成功。先ほどの双眼鏡の男性は、なんと三郎さんの知人で、やはり船好きのIさんだった。奇遇です。三郎さんもIさんも以前は船乗りだったそうで、今回は奥さんを残しての単身旅行。このあと船好き三人の話は大いに盛りあがった。


ホライズン・ラウンジでは無料でコーヒー紅茶が頂ける。この日、ボクの紅茶にはケーキまで付いてきた。嬉しくなって翌日もいったらコーヒーだけだった。どうやらサービス時間があるようだ。ラウンジの左舷側はバーでお酒が飲める。ただし有料デス。写真はホライズンに続く回廊。大きな丸窓が並ぶあそこです。秋野不矩さんの絵を思いだすね。(初乗り記 次回に続きます)  


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