2012年01月28日

名門の復活なるか

フランスのSTX造船所がバイキング・リバー・クルーズ社と外洋型クルーズ客船の建造契約を進めていることを発表した。1997年創業のバイキング・リバー・クルーズ社は、いまではヨーロッパはじめ世界の主だった河川に20数隻のリバー客船を配するトップ企業。アメリカ、イギリス、オーストラリアにリピーターが多い。創業社長のトールステイン・ヘイガン氏はかつて一世を風靡したロイヤル・バイキング・クルーズの経営陣のひとりだった。

バイキング・リバー.クルーズ社の営業部長をかねるマメル副社長の話によると、計画中の新造船は船客定員888人程度の外洋型客船2隻で2014年春に第一船、翌2015年春に第二船を就航させたい、とのこと。運営はリバー・クルーズの系列会社でバイキング・オーシャン・クルーズとなるようだ。
「近年はクルーズ船の巨大化が進んでしまった。我々は船客の皆さんが望む寄港先に、もっと焦点をしぼったクルーズを提供したい」とマメル副社長は語る。たしかに近ごろはメガシップ時代に逆らって中型の高級客船が台頭してきた。バイキング・オーシャン・クルーズは往年の名門のタイトルを奪還できるだろうか。右の写真は往年のロイヤル・バイキング・サン(3万7千トン).先進的な姿は建造後20余年経ったいまでも通用する。

ここからは余談だが、ボクはかつてのロイヤル・バイキング・クルーズの旗艦ロイヤル・バイキング・サンに一度だけ乗っている。コースはリスボンからチベタベッキアまでの7日間だったが、さすがと思わせる印象だった。同船はそのあとすぐキュナードに移籍して一時カロニアと名乗ったが、1999年シーボンに移ってシーボーン・サンとなり、2002年からはHALに再移籍してプリンセンダムとなって今に至る。同船の船内配置デザインはその後他社クルーズ客船がおおいに参考にしクルーズ客船の一時代をつくった。(情報はUSA TODAYより)  

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2012年01月25日

船が傾いたっ!

先日のコスタ・コンコルディアの座礁も、事故の発端は港湾当局に通報した船客の携帯電話のようだ。これはカーニバル・リバティ(11万トン;船客定員3,700名)に乗っていた船客からネット上に通報された話。「1月8日の日曜日でした。船がとつぜん左側に傾いたのです。カリブ海のまっただなか、あたりに島影はありませんでした。拡声器をもって船内を巡るクルーズディレクターの説明によると、技術的な問題が発生しましたが心配ありません、だった。私はこの船にたびたび乗ってますが、部屋のなかの私物やテーブルの食器などが床に落ちるほど船が傾くのは正常ではありません」また別の船客は「航海初日の朝でした。船が急に転舵して卓上の物が床に落下するほど傾いたのです。プールからあふれた大量の水が床に流れ廊下に浸しました。それにもかかわらず船長から何も説明がありませんでした」カーニバル社では「ちょっとした技術的なトラブルでした。問題はありません」と言っている。お客が神経質になっているのか、船に隠蔽体質があるのか、ここ当分ぴりぴりしたクルーズ業界です。(情報はCruisejunkie comより)
  

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2012年01月20日

コンコルディア雑感

先週の「ボクの航海日誌」はコスタ・コンコルディアという文字にアクセスが殺到して驚いた。なかには某キー局や某週刊誌からも取材申し込みがあった。(申し訳ないがボクが出る幕ではない)時間が経過するごとに事故の状況が次々におおやけになった。それらからボクなりに問題を整理してみた。(下の写真は09年にサボナ港で撮影)

①船長のちょんぼ:これは言うまでもない。コースをスタンドプレーで勝手に変更したことが要因だが、そのあと船長が逃げずにブリッジに残っていたら犠牲者はひとりもでなかったか、というと疑問だ。要はあの船の避難システムにも問題があった、と思う。

②避難システム:ボクが乗ったのは09年だった。乗船地はバルセロナ、次にマルセイユと地中海を時計まわりに一周にてバルセロナに戻るコースだった。ホーランド・アメリカやプリンセス・クルーズの場合は乗船日に必ずボートドリル(避難訓練)をやって、士官が船客名簿で点呼をとる。(プリンセスでは担当士官がIPadを使っていたっけ)これで船客は緊急脱出経路と乗るボートをおぼえることになる。ところがコンコルディアは出港初日にそれをやらず、3日後にサボナ港を出港するとき実施した。今回のクルーズはチべタベッキア始発だが船客たちは避難訓練は行わなかった、と証言している。それが事実なら船客の混乱は当然である。(上の写真は左舷側の3階ボートデッキと4階プロムナードデッキの位置関係。海面に降ろしたボートに乗る場合は1階になる。撮影場所はバルセロナ港。まだ乗船ゲートが接続している)


③避難経路:ブログでもふれたがこの船のボートデッキ(避難客がボートに乗り込む場所)は4階にある。室内からデッキに出るには片舷12ヶ所のドアがあり、デッキに出ると目の前にボートが大小13隻(両舷なら26隻)、そのほか円形ラフトのカプセルが幾つかある。ここに3,200人の船客が殺到したらとても一度でさばききれない。ボート係は一度に乗れる人数だけデッキに誘導し、あとは室内に待たせるだろう。しかし船が傾いて両舷からボートを降ろせなくなれば、他の降ろせる側へ客は殺到する。また一度ボ−トを降ろしたら2度目の乗船は4階でなく、海面に近い1階の出口になる。残る乗客をそこまで誘導しなければならない。これら客の誘導や点呼は船長がやるわけではなく、現場を受け持つクルーが実情判断して行わなければいけない。それが判断できるよう日頃訓練してこそ安全が確保できる。以前HALの屋上プールで、部屋係やウエイターが集まって円形ラフトの組み立て方を実習している風景を見たことがある。コスタでもやっていたのかな?(上の写真は3階プロムナードデッキ。4階のボートデッキよりも広々しているが、コスタはここではボートに乗せない)

④顧客優先の根性::報道の一部に乗組員が先にボートに乗ってしまった、とか、1,000人もいる乗組員のうち船員資格のある者はごくわずかだ、というのをみた。「いち抜け船長」は論外として、乗組員だけ乗って脱出したというのはないだろう?。従業員すべてに船員資格云々は酷な話だ。クルーズ船にはソムリエもいればダンサー、シェフ、調理場見習い、洗濯係、美容師、部屋のボーイ、レストランのボーイなど船員資格不要の任務も多い。その人たちに比べたら船員資格をもつ機関部員や甲板部員は少数派だ。それでも緊急時には専門外の部署の者でも避難補助の任務につくが、これらも前述の②③で日頃から練習していなければ役にたたない。それはやっぱり船長の責任だ。ハンガリー人のバイオリニストが客ふたりに救命ジャケットを着せたあと、部屋にバイオリンを置きにいったきり行方不明になった、という記事を読んだ。船員資格のない音楽家でも避難客に貢献した立派な行為だ。(上の写真は船尾3階のミラノ・レストラン。イタリアン・ホスピタリティ満点でウエイターがダンスの相手をしてくれる。幼児も多い。事故はまさにこんな時に起きて船内の明かりが消えた。そのとき彼らウエイターたちは客の手をとって避難誘導してくれただろうか?)  

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2012年01月18日

昔の名前じゃでてません

「あのひとは今?」はネタ切れした週刊誌や芸能テレビ番組がとりあげるテーマだけど、このブログでもマネしてみた。Amadea(2万8千トン:船客定員640名)と聞いて「あ、飛鳥だね?」とわかる人は少なくなった。そう、もと初代飛鳥は2006年に引退してフェニックス・レイゼン・クルーズ社に移籍。二引きの郵船マークは消えアマデアと改名し新たな世界で生きている。もともと造りの良い日本製だから今でも四つ星プラスの評価をもらい人気もあるようだ。そのアマデアが年末は西インド諸島海域をクルーズしていたが、予定では大晦日にサンディ・グランド・アンギアに入港するはずだったものが海のうねりが大き過ぎて航行に支障をきたし、とうとう寄港を断念した、と地元新聞が伝えている。1月末には再度挑戦して寄港する予定とか。元飛鳥の情報に接することができてよかったなあ。(情報はAnguilla Newsより)  

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2012年01月14日

こいつぁ春から‥

初春早々バハマでMSCポエジア(9万3千トン:船客2,550名)が座礁した、というニュースが流れた。この日(1月10日)ポエジアはフリーポートのポルト・ルカヤに接岸する予定だった。事故が発生したのは夜の10時前後らしい。或る乗船客がマスコミに語ったところによると、「ぼくは早めにベッドにはいっていたが、とつぜんドカンという大きな音がした。部屋全体が震え、サイドテーブルにのせてあった盆が落ちて食べ物が床に散乱した。隣室の客が下着姿で廊下にとびだして(オーマイガァッ!沈没するぞ!救命ジャケットはどこだ?みんな死ぬぞ!)などと叫んでいたよ」こりゃ凄かっただろうな。

大きなポエジアは水深30フィート(約9m)以上なければ危険なのに、このあたりの水深は14フィート(4m強)しかない。どうしてこういう事態になったのか、現時点ではわからない。ポエジアは翌日夕方の満潮を待ち、5隻の曵船(うち1隻は待機)で2時間ほど離礁作業の末に行動の自由を回復して、次の寄港地リトル・サルバドルに向けて出港した。(情報はBahama Weekly,Huffingtonpost,Cruisejunkie comより)

つづいて今日(1月14日)、今度は地中海でコスタ・コンコルディア(11万2千トン;船客約3,200名)が座礁したというニュースが飛び込んだ。この船についてはボクもブログで乗船レポートを書いたので他人事でない気がする。
まだ詳報に接してないのでくわしく書けないが、どうやら夕食時間の事故だったらしい。船は20度傾斜しているが沈没の危険はない、と報道されているが、パニックで海に飛び込んだ人が亡くなった。(14日夕方までに死者8名の報道あり)今年のクルーズ業界は春から冷や水をあびせられた感じだ。(情報はcruise critic ukほか)続報:乗客の大半はイタリア人で約1,000名、次にドイツ人が約500名、フランス人が160名という報道がある。日本人グループも乗船していた模様。事故直後は停電になり広いダイニングルームでは食器や銀器が床に散乱して客はパニックになったという。本船のボートデッキは3階だが、客室は1階から11階に分散している。避難の際にはエレベーターは使えないから、暗いなかで階段を相当数登り降りすることになる。これは大変です。再続報:沈む心配はないと発表していた同船が右舷側に横倒しになってしまった。水面から露出した船底に大きな裂け目が見える。外に出たままのフィン・スタビライザーが航行中であったことを物語る。なお先にこのブログで本船の避難方法を一旦カジノに集合させる「マスター・ステーション式」と書いたのはボクの勘違い。コスタ・コンコルディアは3階に広い遊歩甲板があるが、避難客は4階の狭いボートデッキに集められ、つり出したボートに乗ったところでボートを水面に降ろす方式だった。救助された客のなかには「ボート乗り場は満員で、私は5回目でようやく乗れました」と言っている。2回目以降の乗船は3階よりもさらに下の乗船口になるだろう。  

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2012年01月13日

入港が遅れると……

ニュージーランド南島の地方紙オタゴ・デイリーニューズに、ちょっと切ない記事がのっていた。この島の地方都市ダニーデンにとって大型クルーズ船が1隻訪れることは、町の経済と活気のために大きな問題だ。1月3日はサン・プリンセス(7万7千トン:船客定員2,250名)が寄港するハズだった。ところがタスマン海の悪天候が災いして同船の入港は予定より8時間も遅れた午後4時になった。これは観光関係の業者にとっては由々しき番狂わせなのだ。

ダニーデンには大きな埠頭はないから、船は近接のポート・チャルマーズ港に接岸する。ここも大して賑わいのある土地ではなく、千頭、水窪の町の方がずっと賑やかだ。(失礼)ま、とにかく8時間も予定が遅れては飲食店は食材の仕入れが無駄になり、従業員を超過勤務させなくてはならない業者は時間外手当が発生する。町の或る関係者はぼやいた。「クルーズ船の抜港や予定遅れは、過去2年間で13回です。もうなかば悪い慣例になっちまったよ。こんな港はニュージーランドでも他にないだろうね」

ボクが一昨年クルーズでポート・チャルマーズに寄ったときは「美しい庭のある家を訪ねて」というツアーに参加した。訪問先は確かにバラの花や芝生が美しい庭のある普通の家で、ご夫婦がお茶とクッキーを用意して待っていた。特別な観光資源のない土地だから、手作りで人情あたたかなもてなしが唯一の観光ポイントになるのだ。この人たちにとって観光客の到着が8時間も遅れることは大問題だろう。クルーズ業者も責任が重いなあ。写真はポート・チャルマーズ港。ぱしびも隣に着いていた。(情報はOtago Daily Timesほか)  

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2012年01月07日

完成直前にナゾの事故

長崎の造船所で工事中に火災をおこしたダイヤモンド・プリンセスの事件はいまでも記憶に新しい。これはドイツで起きた工事中のナゾの事件。パッペンブルグにあるメイヤー・ベルフト造船所では、いまディズニー・クルーズの新造船ディズニー・ファンタジー(12万8千トン:船客定員2,500名)が最後の仕上げを急いでいる。これはドイツで建造された最大の客船ということでも話題になっているのだが、12月の初旬に予期せぬ事故が起きた。

事故は船内に設置された配水管のバルブが開き水が漏れ出たというもの。原因は不明で、なかには建造を妨害する悪意ある者の手によるのではないかと憶測するむきも。関係者の話では被害はカーペットの張り替えなど20万ドルほどで済み、1月初めの進水は予定通り行える見込み。そのあと2月7日の引渡式を済ませフロリダに廻航して処女航海に出発する、という。現在大屋根でおおった乾ドック内で最終工事が進行中だ。(情報はcruisejunkieおよびUSA TODAYより)  

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2012年01月04日

不名誉な落第

アメリカのCDC(疾病予防センター)はなかなか手厳しい。入港する客船の衛生検査で100点満点のうち86点未満の船は落第で厳格な指導が待っている。年に2回は抜き打ち検査も実施するが、このほどRCIのモナーク・オブ・ザ・シーズ(7万3千トン:船客定員2,300名)がヤリ玉にあげられた。

CDCによれば、11月の抜き打ち検査をした結果、配膳カウンターの開き戸の中その他でハエを多数目撃、さらに保存食品庫の温度検査日報の記載が欠け、常温では保管を認めないスペースにチーズ、生卵、ハム、野菜などがあった、など総合点で85点!わずか1点不足でも規則は規則だ。「豊富なお食事の選択! グルメの楽しみ!」(RCIのパンフレットより)という宣伝文句が哀しいな。このあと厳しい指導が待っている。もっとも昨年は、あのQM2がCDC検査で84点の不名誉な成績をとったこともあるのだよ。日本も受験シーズンだ。受験生よ、油断するな!(情報はcruise critic ukおよびcruisejunkie comより)  

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2011年12月31日

永年勤続おつかれさん!?

P&Oオーストラリアのパシフィック・サン(4万7千トン:船客定員1,900名)がいよいよ引退するらしい。同船は1896年生まれの元ジュビリーで、永年世界の海域で働いてきたが最近はシドニー、ブリスベーンを基点にオーストラリア、南太平洋で活躍、大いに親しまれていたがクルーズ中にたびたび故障して話題を提供していた。P&Oによるとパシフィック・サンの最後の航海は来年7月1日ブリスベーン発の7泊クルーズになるらしい。引退後は中国に買われて改装され、来年にはふたたび客船として働くことになるようだ。ああ引退してもまだ仕事ができるなんて、幸せ?(情報はcruisejunkie comおよびNews Australia)
  

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2011年12月28日

セレニティ お手柄!

ヨーロッパからカリブ海へ大西洋を横断航海中のクリスタル・セレニティ(6万8千トン:船客1072名)が遭難漂流中の男性ふたりを救助した。

救助されたのはドイツ・ロシア国籍をもつトム・ザウアー君(23)とイギリス国籍のトム・ファンセット君(23)。ふたりはタリスカー・ウイスキー主催のアトランチック・チャレンジ手漕ぎボートレースに参加していたもの。世界で最も過酷なボートレースというこのレースは、全長7.3mの小型艇でカナリア諸島から南米バルバドスまで大西洋を横断するもの。今年は17艇が参加している。トム君によるとボートはカナリア諸島の南西480マイルの地点で大波をうけて転覆し、ふたりは救命筏に乗り移り漂流していたという。無線連絡を受信したイギリスの海洋沿岸局が付近を航行中の船舶を探したところ、クリスタル・セレニティがみつかった。セレニティは予定の針路を変更して指示された地点に急行し漂流中のふたりを発見した。その日、セレニティの船客たちが手すりから身をのりだして注目するなか、ふたりは転覆してから10時間ぶりの生還をはたした。ふたりはさっそく船内の売店で着替えを買った、という。セレニティはそのまま航海を続けセント・マーチンに向かった。それにしても物凄い冒険ボートレースがあるものだ。(情報はcruise critic uk.写真は09年清水港にて)  

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2011年12月24日

食中毒クルーズ船隊


先日アトランタにある全米疾病予防センターが2011年度にアメリカに寄港したクルーズ船の食中毒発症の結果を発表した。船名と所属会社別の状況は:まずセレブリティ・クルーズでは1月セレブリティ・ソルスティスで118名(ノロウイルス)、5月セレブリティ・ミレニアムスで104名(病原不明)、11月ふたたびセレブリティ・ソルスティス118名(病原不明)。ついでホーランド・アメリカのラインダムが11月に148名(ノロウイルス)。5月にリンドブラッド・エクスペディションスのナショナルジオグラフィック・シーライオンで17名(病原不明)。オセアニア・クルーズのマリーナが2月に39名(E型大腸菌)。プリンセス・クルーズでは4月にコーラル・プリンセスが66名(大腸菌)、5月に同じくコーラル・プリンセス64名(ノロウイルス)、5月シープリンセスで128名(ノロウイルス)6月にふたたびシープリンセスで144名(ノロウイルス)。ロイヤル・カリビアンでは1月にラディアンス・オブ・ザ・シーズで150名のノロウイルス患者をだした、と報じた。クルーズ盛況なれど波高し!それにしても同じ船が再三名前をだしてるなんて不名誉だなあ!(情報はCDCおよびUSA TODAY より)  

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2011年12月21日

カーニバルてんやわんや

先週カーニバル・クルーズの運航本部はてんやわんやだったろう。まず12月3日、カーニバル・インスピレーション(7万トン;船客定員2,600名)でひとりの男性客が書置を残して海に飛び込んだ。船は現場周辺で男性の名前をスピーカーでくりかえし呼びつづけたが見つからなかった。この男性は最近妻を亡くし、亡妻の後を追って投身自殺をしたらしい、とは、この事件をネットに投稿したひとの弁。2千人も客が乗っているから噂話もひとり歩きします。

つづいてカーニバル・マジック(12万3千トン:船客定員3,690名)で、これも船客の投稿から。同船は12月4日にガルベストン港を出港したが3時間もしないうちに戻ってきた。船客には説明がなかったが、ひとりの急病人(もしくは怪我人)を陸上の病院へ搬送するためらしかった。この投稿者はさらに事情を探索した結果、病人は船から海に飛び込んだものだと書いている。船旅って案外ひまで探索意欲がわくんですよ。



最後はカーニバル・コンクエスト(11万トン:船客定員3,700名)。こちらは夫婦で乗船した奥さんが投稿したもの。4日に乗船した2日後、まず夫が嘔吐と下痢を発症し別室に隔離された。その三日後には夫人も同様な症状で発症し隔離される。聞けば船内でも大勢の発病者が出ているらしく、食事その他患者への対応は不行き届きだったとみえる。「私たちはこの船に乗るのは今回が二度目ですが、もう三度目の乗船はしません」と夫人は手厳しい感想。なんでも「セザンヌ・ダイニングルームの不潔さはひどいもので、私たちはいつも汚れたテーブルをあてがわれた。夜は7時過ぎるとピザ以外の食べ物はなくなっちゃうの」クルーに苦情を言うと、「済みませんね、メニューも時間も減らしているものですから。私たちも病気気味なんですよ」と答えたとか。嗚呼ミゼラブル。
同船の別の船客は:「最終日のことでした。(レストランの)クルーたちがみんな手袋をはめ、私たち客が素手で食器や食べ物にふれることを禁じたのです。衛生事情についてのアナウンスはなかったわ」と述べている。(情報はcruisejunkie comより)
前回のブログ「バハマで船火事」でバハマ・セレブレーションという船の詳細はわからない、と書いたら、さっそくKenさんからご教示をいただいた。それによると問題の船はPrincesse Ragnhild(プリンセス・ラグンヒルドとでも読むのかな?)だそうです。Kenさん、ご親切にありがとう。  

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2011年12月17日

バハマで船火事

バハマクルーズに出発した客船が火災を起こしクルーズを中断してフロリダに戻ってきた。船の名はバハマ・セレブレーション、約600名の船客をのせてリビエラ・ビーチを出港したのだが、発電機から出火した。さいわい消火に成功した。しかし空調設備が動かず、一部の客室を焦がしたが乗客乗員に怪我人はなし。或る船客は「クルーの皆さんは私たちの世話をよくみてくれたけど、事件のなりゆきの説明については不満だったわ」と語った。油断大敵火がぼ〜ぼ〜!ところでこの船、詳細はわからない。写真でみると元ホーランド・アメリカの旧スタッテンダムやハパク・ロイドの旧オイローパに似てるけどね。(情報はcbs.12.comより)
  

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2011年12月14日

iPad 使えますか?

全日空が客室乗務員用に600台のiPadを購入する計画を聞いたが、その後どうなったかな?海の上でもiPadの繁殖がはじまった。ロイヤル・カリビアンはこのたび試験的に客室に1台あてiPadを配置する計画を発表した。こちらは全日空のようにクルーが使うのではなく船客に使ってもらうためだ。船客はiPadで日々の船内イベントの詳細を知ることができるほか、エクスカーション(上陸観光)の内容と申込、船内における売店での買い物残高、ルームサービスの注文、船内レストランのメニューチェックと予約ができる。もちろんインターネットや映画鑑賞もOKだ。

ロイヤル・カリビアンは来年2月中旬からスプレンダー・オブ・ザ・シーズ(6万9千トン:船客1,804名)にiPad設置をはじめるという。その成果をみて同社全22隻のうち、レジェンド、グランデュール、ラプソディ、エンチャントメント、ビジョンの5隻に向う2年間でiPad配置を実施する、といっている。さあ、大変だ。ロイヤル・カリビアンに乗っても、あいつを使いこなせないとせっかくのサービスがブタに真珠になっちゃうぞ。(情報はUSA TODAYより)  

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2011年12月10日

タイタニック記念クルーズ

来年はタイタニックの悲劇の航海からちょうど100年になる。各地で悲劇を回想する様々なイベントが予定されているが、フレッド・オルセン・クルーズのバルモラル(4万3千トン:船客定員1,200名)はタイタニックの航路をたどる12日間大西洋クルーズを企画し販売をはじめた。

バルモラルのタイタニック回想クルーズは4月8日にサザンプトンを出港、ニューヨークに向かうのだが、途中遭難海域近くで慰霊セレモニーも予定している。もうひとつの話題は歌手のロッド・スチュワート(66歳)が乗船するという。彼は個人的にもタイタニックの海難事故に大きな関心をもっている由。バルモラルはイギリス人に人気のある客船だが、もとはクラウン・オディセイという船齢24歳の老嬢。11月中旬に北海クルーズでハンブルグに寄港したとき主機のオイル・ポンプが故障して動けなくなった。結局応急修理してクルーズを続行したが、次の寄港地アムステルダムを抜港してアントワープへ向かった。老骨にむち打ってがんばっているが、タイタニック回想航海でも大事なければいいね。



ほかにもアザマラ・クルーズのアザマラ・ジャーニー(3万トン)が4月10日にニューヨークを出港してタイタニック航路を逆にたどる8日間の回想クルーズを行うそうだ。ディカブリオ君みたいに船首で彼女とラブラブ・ポーズをしたいむきは参加してみたら?(情報はUSA TODAY,Cruisejunkie comより)  

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2011年12月05日

♫雨、雨、降れふれ


毎年マスコミがロックフェラー・センターの大クリスマスツリーや神戸ルミナリエ点灯を伝える頃、北東ヨーロッパの古都市では恒例のクリスマスマーケットが始まる。この時期にライン河やドナウ河、ダニューブ河沿いの古い街ニュルンベルグ、ウイーン、ブダペストなどではクリスマス夜店市が開催され、それをお目当てにリバークルーズを楽しむ観光客が多い。しかし、今年はちょっと困った事が起きてるようだ。(上の写真は以前ボクが撮ったウイーン市庁舎前のクリスマスマーケット風景)

それは渇水で河の水位が低くなり船の航行に支障が出ているからだ。先週(11月末)にはとうとうダニューブ河のブダペスト河港が閉鎖になった。あそこは有名な鎖橋のそばに大きな浮き桟橋の埠頭があり、市内観光の橋頭堡になっている。いまはそこまで船が近づけないので、やむなく100kmも離れたコマロームに接岸して観光客はそこからバスでブダペストまで来ることになる。観光先を変更するクルーズもあり、船客のなかには料金値引きを要求するひともある。船会社だって予定外のバス費用と昼食費の負担でしぶい顔だろう。(上下の写真は船が支障なくブダペストに接岸していた当時のもの)

ライン河でも水量異変は起きている。アムステルダムからバーゼルまでのクルーズはオランダ、ドイツ、スイス観光ができる人気のコースだが、これも途中のコブレンツあたりから上流では水位低下し、船が進めないときがあるそうだ。その場合は途中からスーツケースを陸上輸送し、船客はバスでバーゼルまで運ばれることになる。ゆったりした船上からの眺めと船内の高級レストランでの食事を楽しみにしていた人の夢は無惨にくだかれることになりかねない。いまは船客も船会社も、そして観光業者もひたすら「♫ 雨、雨、降れふれ」を祈ってるところだろう。(写真は2点ともブダペストにて:情報はCruise critic ukより)  

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2011年12月03日

救命ボートがおっこちた!

昨年11月ニュージーランド・クルーズで世話になったホーランド・アメリカのフォーレンダム(6万1千トン)で事故があって甲板員がひとり亡くなった、と運輸事故調査委員会の発表があった。事故は今年の1月、クライストチャーチの外港リトルトン埠頭で起きた。その日フォーレンダムは船客が上陸観光に出発したあとの時間を利用して、クルーによるライフボート操作訓練を行った。二人の甲板員が吊ってある救命ボートの上に乗っているとき、とつぜん救命ボートを吊っているワイヤの一本が切れて救命ボートが宙吊りになり二人は16メートル下の海に転落した。

ふたりは安全金具を着けていたが不運にも落下するボートが命綱を切ってしまった。さらに不運なことに救命ベストも着けていなかった。海に投げだされたひとりは浮いていたバケツにつかまることができたが、もうひとり29歳になるインドネシア人のクルーは泳げなかったので水中に沈んでしまった。すぐさま警察や沿岸警備隊が救助にかけつけ、しばらく後に付近の海底で甲板員の遺体を発見し回収した。

最大の原因は救命ボートを吊っていたワイヤが錆びて老朽化していたことも判明。普段の不注意からクルーに悲劇をもたらしたのだが、あの救命ボートはふだん遊歩甲板の頭上に吊ってある。(左の写真)散歩中の船客の頭上に落ちなくて幸いだった。(情報はNew Zealand Stuff,cruisejunkie comより)  

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2011年11月30日

コンティジョン 海と川で


エジプトのアレクサンドルに停泊中のクイーン・ビクトリア(9万トン)でノロウイルス患者が見つかり、船は4時間の出港を停められた。二日後出港しようとしたら濃霧のため足留めになり、このあとベニスなどの寄港予定に大きな変更がでる模様。同じ頃、セーヌ河ではバイキング・スピリット(船客定員:150名)で食中毒患者が発生、全船消毒のため船客は急遽僚船のバイキング・ネプチューンに乗り移った。しかしネプチューンでも患者が発生。船客にトイレ後と食事前の徹底した手洗い励行や、素手で握手したり手すりに触れることまで禁止する船長通達が出た。あのバイキング・リバークルーズでの食中毒発生にはボクも正直なところショックだった。(以上の2件はcruisejunkie に寄せられた船客からの投稿による)

一週間後、こんどはバハマのHAL専用ビーチに寄港中のラインダム(5万5千トン:船客1,188名)で食中毒患者が大量に発生した。乗船して調査にあたったCDC(アメリカ疾病予防センター)によると患者は船客118名(総船客の9.26%)とクルー9名(1.56%)だという。同船はCDCによる厳しい保健観察下におかれた。


さらに新たなコンディジョン(感染)のニュースがはいった。11月22日ブラジルのリオ・デ・ジャネイロに入港したヴィーンダム(5万5千トン)でアメリカ国籍の女性客(61歳)が原因不明の病気で死亡したという報告があった。同船は大平洋岸のバルパライソ(チリ)から16日間クルーズでリオに着いたもの。地元保健所と警察の調査によると、船内には2名の腹痛患者のほか健康にやや問題ある船客72名とクルー2名がみつかったが危険な食中毒症状はない、というが、死亡した女性の原因解明と船内の保健監視を続けている。(情報はThe New York Postおよびcruisejunkie comより)  

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2011年11月26日

良い話と悪い話

ひとの一生はラッキーとアンラッキーが交互にやってくる、という事を昔のひとは「禍福はあざなえる縄のごとし」と言ったそうな。ことし新しくデビューしたカーニバル・マジック(12万8千トン:船客定員3,690名)の先週がまさしくそれだった。

折からカーニバル・マジックはCruise criticから「編集長が選ぶ今年のベスト新造船」に選ばれた。評価ポイントは同船の広大なスポーツ施設や家族的でフレンドリーなダイニング、イタリア風クッチーナ、トラットリア、船上で醸造される「自家製ビール」とスパイシーなカリブ海風スナックなどだ。このカーニバル・マジックがテキサス州ガルベストン港を基点にメキシコクルーズに赴くのだが、11月17日、初寄港のガルベストンで盛大なセレモニーが催された。



セレモニーでは今年グラミー賞に輝いたMaroon 5が招かれてステージに花をそえた。ここまではよかった。そのあと同船は出港予定時刻が過ぎても動かない。船側の発表によると「船尾側のサイドスラスターが1基故障した」ということだ。結局応急修理して出港したがクルーズ予定は変更され、次の寄港地コスタ・マヤは抜港となりプレグレッソがそれに替わった。船客たちにはおわびのしるしにひとり25ドルの船内クレジットが配られたようだ。



さらにもうひとつ、いまわしい事件がカーニバル・マジックを直撃する。船内のダイニング・ルームで給仕係が給仕長に襲いかかり、鉄の棒で殴りたおす暴力事件が起きた。しかも夕食中のおおぜいのお客さんが見ている眼の前で。加害者の給仕係はすぐさま警備員に拘束され(船会社の広報係によれば)即刻解雇されたという。上司のパワハラに我慢に我慢していた給仕係がプッツンして、浅野内匠頭みたいに「刃傷」におよんだものかどうか真相は発表されない。クルーズ会社としては恥ずかしい話だからね。今回は一度に良い話と悪い話の乗合いでした。(情報はUSA TODAY, Ccuisejunkie com,Cruise critic ukより)  

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2011年11月23日

お酒は18歳から?

「お酒は二十歳になってから」は日本の洋酒メーカーが半世紀も続けている商売上スローガンだ。実際に日本の法律では20歳未満の者はお酒もタバコも売ってもらえない、ことになっている。(ここまで読んだら頭のなかをからっぽにして次に進んでください)世界一を争うクルーズ会社のロイヤル・カリビアン社は来春から船内での飲酒制限年齢を18歳にひきさげることを発表した。

これには、「北米以外の南米、欧州、アジア、オーストラリアとニュージーランドの海域の船客が対象」という補足条件がつく。同社の現行ルールでは「18~20歳の未成年の飲酒には両親が同意書に署名した場合に認める」となっているが、新ルールでは両親の同意を必要としていない。また北米海域の場合は従来通り21歳以上でなければアルコール類の提供はしない、としている。入港中は閉まってる船内のカジノと免税店はも、ひとたび船が陸から離れたら営業する。クルーズ船の規制はオトナ的でフレキシブルだ。



ロイヤル・カリビアンでは年齢制限の改正理由について「世界各地の海域における文化基準の適合性をより向上させるために」と、なにやら苦しいいいわけ。ちなみに他社のルールをみるとコスタは北米海域では21歳だが、それ以外の海域では18歳であり、NCLとプリンセスもほぼ同様なルールだという。飛鳥Ⅱ、にっぽん丸、ぱしびなど日本国籍船の場合はどうなってるのかな? やっぱり20歳ルールだろね。(情報はcruise critic より)  

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2011年11月19日

船火事こわい

船客乗員あわせて4千人を乗せたカーニバル・スプレンダーが火災を起こして4日間も海上で漂ったのは、ちょうど一年前のいまごろだった。あのときは原子力空母ロナルド・レーガンまで出動して食料、飲料水からピザまで客船に届ける大騒ぎになったっけ。いつもアメリカ海軍が駆けつけることができればよいが、そうでないから船火事はこわい。

11月8日の未明、眠っていたアムステルダム(6万1千トン:船客定員1,600名)の船客たちは非常警報に驚いた。5分後船長から「ゴミ焼却室で火災警報が鳴ったので消火班に出動させた」という放送があった。折から船は75日間グランドアジア&オーストラリア・クルーズの途中で、ポートモレスビーからブリスベーンに向かっていた。警報を聞いた船客のなかには用心深く服を着込み貴重品を身につけるひともあれば、大丈夫だとベッドにもぐりこむひともあったが、約30分後には消火したという船長の放送があり一同安心。よかったね。



その一日前の7日深夜、オーシャン・プリンセス(3万トン、船客定員670名)では消火班招集の船内放送が流れ寝ていた船客達のきもを冷やした。翌朝になって発電機の1基が加熱したため火災警報が鳴った、という説明放送があったが、それを聞くまで船客たちの間にはさまざまなうわさが流れて落ち着かなかったという。以前ボクはアムステルダム号の南米クルーズのときにも消火班招集の船内放送を聞いた。それも白昼堂々、映画タワーリング・インフェルノに登場した消防隊みたいないでたちのクルーがゴム長靴でドカドカとサロンを駆け抜けるさまは凄い迫力!あれは船客も不安になりますよ。(情報はcruisejunkie com およびcruise critic より)  

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2011年11月16日

じわじわと値上げ

今日はクルーズ船のチップの話をしましょうか。船室の広さと設備に応じて設定されているクルーズ料金には、期間中毎日三度の食事と船内で催されるエンタティーメント観覧と参加料などは含まれていても、船室スチュワードや食堂のウエイターたちに対するチップは含まれてない。(チップの習慣がない日本人に苦手な)チップはあげる人の意志であって強要するものではないから、これまで船会社は「チップ額のめやす」を客に提示していた。たとえば食堂のウエイターには一日$5でその助手には$1とか、客室スチュワードには$3.5程度が相場だった。客はそれにクルーズ日数を掛けたもの(1週間クルーズなら5x7=$35x客人数)を下船する前日に直接手渡した。サービスの内容が悪かったり、態度が悪かったらチップをあげないか減額するのは客の権利です。

しかし客にとってはこれがなかなかわずらわしい、という声と、同じ船で働きながらチップをもらえない他のクルーの不満もあったのだろう。船会社はチップの「一括天引き法」を採用した。これは仕事別にチップ額が異なるわずらわしさを解消して、客から一律にチップを集め、クルーズ料金に加算して請求する方法だ。集まったチップは船がクルー全員に分配する。(分配率は知りません)たとえば客ひとりあたり1日$10xクルーズ日数というわけ。下船前日、請求書が船室に届き、チップ額に変更の意志あればフロントに申告して訂正させることもできる。客は特別にお気に入りのイケメンボーイや可愛いウエイトレスがいたら、彼らには別にチップをはずめばいい。現在、ほとんどのクルーズ船がこの方法が採っている。


ここからが今日の本題。カーニバル・クルーズは12月1日からチップ料金の値上げを発表した。それによると従来一日$10だった基準価格を15%値上げして$11.50にするという。もちろん「おすすめ金額」なので最終的には客が判断するのだが、たいていの客は合計千数百ドルの請求書の末尾に記載された$100位のチップはおおらかに受け入れているようだ。カーニバルによると「我が社のチップは以前から競合他社の基準より低額だったから」と言い訳する。ちなみに他社をみるとNCLが一日$12、RCIが$11.65、セレブリティは$11.50だ。15%増でもカップルで一週間クルーズすれば$21の余分な出費になる。こまかな話だけど、じわじわと値上げを続けていることには変わりはない。(情報はUSA TODAYおよびCruisecritic ukより)  

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2011年11月12日

同時多発 患者

ディズニー・クルーズなど例外もあるが、たいていのクルーズ船客には高齢者が多い。高齢者が多ければ突発的な急病人も多い、ということだ。先日サンディエゴからハワイ周回14日間クルーズに出発したオーステルダム(8万1千トン:船客定員2,400名)は同時に3名の急病人発生でてんてこまいした。

その日、オーステルダムはハワイ島ヒロをあとにしてメキシコのエンセナダに戻る針路にあった。まず86歳の男性客が心臓発作を発症した。続いて76歳の女性が猛烈な腹痛を、さらに82歳の男性が内部出血をしていることが判明。船医の報告を受けた船長は患者を陸上の病院へ搬送する決定をくだした。船長の要請を受けたハワイの沿岸警備隊はすぐさま2機のヘリコプターと通信連絡仲介にC130大型機を発進させた。折から船はヒロの東方約90マイルの地点にあり、周辺海域の波高は5フィート、風速15ノットの強風も吹いていた。それからは沿岸警備隊のドラマチックな活動があり、3人の患者は2機のヘリに分乗してヒロに運ばれ、無事に総合病院で治療を受ける事ができた。めでたしめでたし。しかし一連の救急活動によってオーステルダムはハワイ島近くまでUターンしたこともあり、サンディエゴ帰着が一日遅れてしまった。船会社は船客にそのためのいろいろな埋め合わせをしたことは言うまでもない。(情報はUSA TODAY,Cruisejunkie comより)  

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2011年11月09日

クラウン・プリンセス採点


ガーンジー島を発ったクラウン・プリンセスは120マイル余の海峡をゆっくり進み、翌朝5時にはサザンプトン港内にはいった。6時に起床したボクらはいつものように15階で朝食を済ませる。窓の外をみると船は接岸するところだった。一旦船室に戻る。大きな荷物は昨夜のうちに引き渡してない。手荷物だけたずさえ指示された5階のミケランジェロ・ダイニングで下船の順番を待った。3,000人からの客が入れ替わるのだ。さそかし待たされるだろう、と予想したら8時にはボクらの下船が告げられる。思ったより早い!一般に下船前日のトランク回収は深夜が刻限なのに、この船の場合は宵のうちの19時が刻限だった。5時間早い回収は翌朝の下船作業の効率を高めるのだな。下の写真は朝日をあびる15階デッキ。サザンプトンが近づいている

13日間のべ2,351海里(4,354km)の船旅を親しんだ船を降りた。埠頭の周辺には他に客船の姿もない。寂しいサザンプトン。広い上屋の中に下船客のトランクが整列して主を待っていた。ボクのトランクはあちこちに割れ目が生じて切腹状態だ。無理もない28kgぐらいに重くなっていたのだから。このトランクを運ぶ人間ならだれだって放り投げたくなるだろう。ボクらの今日の予定は列車でソールズベリーへ移動。そこからあの世界遺産ストーンヘンジ見物に行くことだった。埠頭からタクシーでサザンプトン駅にむかった。振り返るとターミナルの屋根からクラウン・プリンセスのニット帽みたいなエントツが見送っていた。

さてここでプリンセス・クルーズ航海中の食事の質、クルーのサービスぶり、船内の設備調度、船客の扱いぶりなどを好敵手のホーランド・アメリカの船と比べてみよう。食事の質と演出はまず互角。2回座席にこだわらないシステムなどは良く配慮している。サービスクルーは東欧系と東南アジア系の対比になるが一長一短あり個人的な好みになるが、ボクは東欧系の人びとは物欲しそうでないところが良いと思う。もっともプリンセスでは客室スチュワードに東南アジア系クルーを配していて、これはHALと同じ雰囲気。夜のステージショーはどちらも大衆的すぎる。船内インテリアはプリンセスの方がやや派手(しかし樹脂床を自然木材にみせかけた狭い遊歩甲板の項でふれたようにチープな仕上げも目についた)図書室がお粗末。屋内パブリックスペースにくつろげる椅子が少ない。相対的に地味なHALのインテリアの方がボクは落ち着く。サービスと言えば、フロントデスクで絵葉書の投函を代行してくれたのだが、頼んだ3枚は下船後半年も経過したいまも日本に届かない。(フロントの係の手落ちか、依頼された港の代理店の怠慢かわからないが、頼りにならない事に代わりはない。このマイナス点は決定的だ)まだまだたくさんあるけどキリがない。それでも13日間、楽しい思い出をくれたクラウン・プリンセスに心からThank You Very muchと言いたい。ありがとう、お世話になりました。さようなら!(ながながと綴った英国クルーズ・レポートはおしまいです。このあとストーンヘンジやドーヴァーの白い崖セブン・シスターズ、ロンドンをめぐる汽車の旅が続きますが省略です)  

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2011年11月05日

最後はガーンジー島

久しぶりに英国周回クルーズのレポートです。

アイルランドのコーヴを発ったクラウン・プリンセスは夜通し280海里を平均20ノット余で走り、明け方ガーンジー島に到達した。この島は英仏海峡にあるがイギリスよりもフランス側に近い地点にあるのがおもしろい。島の港セント・ピーター・アンド・ポートには11万トンの本船が接岸できる設備はないから、船は左舷の錨を降ろして沖に停泊だ。クラウン・プリンセスは左舷のポンツーン(テンダー乗船用の足場)を広げ、テンダーを次々に海へ降ろす。

島に上陸する者は乗船券をもらって5階で待機し、呼び出し案内にしたがって4階に降りてポンツーンに接岸しているテンダーに乗るのがルール。(左の写真はポンツーンに接舷しているテンダー)

テンダーの利用はクルーズ最初の寄港地サウス・クイーンズフェリー以来2度目だった。テンダーの中はごらんの通りせまい。定員で50名ほどの乗客は肩をよせあって座る。














テンダーの操舵席は一段高いところにある。操縦はひとりのクルーが担当する。(下の写真)










テンダーはおだやかな海をのたりのたりと島の桟橋に向かう。こうして何隻ものテンダーが島と船の間を行き来する。





ガーンジー島は小さな島だが、それでも幾つかの有料観光コースの案内があった。なかには島巡りサイクリングなど目新しいものもあったが、ボクらは自分の足で歩コースを選ぶ。真っ先に向かったのは海岸の観光案内所。そこで島のガイドマップをいくつか入手する。




昔からイギリスとフランスが取ったり取られたりした歴史のある島だ。目につく表示や店の看板にはイギリス表記とフランス表記が混在していた。無論いまはイギリス領で公式通貨はポンド。でもユーロだって立派に通用する。

行き当たりばったりで見つけたのがタピストリー展示館。これは珍しい、と入場料を払って入ると有史以来の島の歴史を10点の新作タペストリーに織り上げた作品だった。歴史的価値はないがひたすら美しいものだった。次に坂道をのぼり島の高台に向かうとガーンジー博物館&画廊があった。ここも新しい設備だが島の歴史をなかなか丁寧に展示してあった。前大戦中はフランスを席巻したドイツ軍が、この島に小数の進駐軍を派遣していたことを知った。帰路は島いちばんの繁華街(と言っても静岡の長谷通りより道幅の狭い商店街)でアイスクリームをなめながらぶらぶらと埠頭に戻る。

船で遅い昼飯を食べた午後は休息だ。連れ添いはプールへ直行し、ボクはプールサイドの日陰で読書三昧。3時頃部屋に戻ると明日のサザンプトンでの下船手続案内が届いていた。通常は深夜0時までにトランクをドアの外に出すのが下船前日の注意事項だが、この船の場合は今夜の7時までに荷造り済みのトランクをドアの外に出せ、となっている。下船後の旅程に応じて下船の順番が決まり、下船順を示す色のタグを着ける。ボクらは急がない組で空色のタグだ。さあ、忙しいぞ。

それから急いで荷造りを始めた。トランクに詰めたものは明日サザンプトンの埠頭に着くまで取り出せない。夕食前に荷造りを終え、カジュアルな格好でダイニングに行った。今夜は山羊のチーズと西瓜を前菜に、野菜スープとムール貝。ギネスを1本もらう。食事を済ませて部屋に戻る。7時半、廊下のトランクが運び去られた。船はサザンプトンめざして夜の海を15ノットで静かに進んでゆく。明日はいよいよこの船とお別れか。  

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2011年11月02日

QM2 ドック入り

来年1月でデビュー8周年を迎えるがキュナードの旗艦QM2(クイーンメリ−2)は、このほど点検改装のためのドック入りが決まった。予定では11月24日からハンブルグのドックに入り、12月8日の再就役まで14日間の間整備と改装工事を受ける。主な改装箇所は英国調のゴールデンライオン・バーは温かな色調のアメリカン・カントリー・スタイルに変わり、椅子はより豪華なものに、またテレビ受像機も新型になるという。客室もベッドやカーペットが一新され、一部の家具も変更に。またクイーンズ・グリル、プリンセス_グリル、コモドア・クラブ、ヴーヴ・クリコ・シャンパンバー、サー・サミュエルズなどお馴染みのパブリック・スペースも改装されるそうだ。ついでに船籍港名もサザンプトンを消してハミルトンと塗り直すんだろう。クルーズの世界も絶えず進歩してないと競争できないんだね。(情報はCruisecritic.ukより)
  

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2011年10月29日

タイタニック最後の寄港地


昨晩ダブリンを発ったクラウン・プリンセスは170マイルの海を夜通し走って、翌朝ふたたびアイルランドのコーヴに着いた。

コーヴと聞くと昨年日本で公開され議論を集めた映画The Coveを思い出したが、あれと同じ入江を意味するアイルランド語だ。コーヴはコーク市の外港。急坂の宅地を背にした小さな町だ。




いまでこそ超10万トンの船が接岸できる埠頭があるが、1912年タイタニック(4万6千トン)が処女航海で寄港したときは接岸する埠頭はなく、同船は沖に錨泊した。ここを発ったあとタイタニックは悲劇の現場へ直行したのだ。


コーヴの爽やかな空気と青空がボクらを散歩にいざなう。朝食後、小さな町だから歩いて廻ろう、と下船した。埠頭にはさまざまな観光地をめざすバスがズラリ並んでいる。





100年も前に一度だけ立ち寄り、そのまま悲劇の惨事で沈没したタイタニックを悼むコーヴの町の心があちこちに残っている。












海にむかって立つタイタニック鎮魂碑(上)とUボートに撃沈されたルシタニア鎮魂碑(右の写真)







見た所大きな建物もないが、いたるところに町をあげて旅人を歓迎する雰囲気があった。とりあえす高台にそびえるカテドラルをめざすことにした。つづれ折れの急坂は心臓にこたえたが、なんとかカテドラルに到着。小さな町のわりに立派な教会だった。

港への帰路に交通事故を目撃した。旅のキャンピングカーが細いカーブを曲がり切れずに停車していた職人のミニバンの横腹をこすった。たちまち大勢の人が集まって大騒ぎ。裏通りで見かけた野良猫くん。船旅のなかで出会うほっとする眺め。次にボクらは町巡りの観光トレイン(といっても箱客車を牽引するSL風トラクター)に乗った。



コーヴの地形が一望できるビューポイントで撮った一枚がこれ。眼下にクラウン・プリンセスが停泊している。


埠頭は鉄道駅に接続している。昔の駅舎は港の歴史博物館とおみやげ売店センターになった。町に住む小さなアーティストが作った手芸品、工芸品なども並ぶ。左の写真はタイタニック時代の旅行カバンとポーターが使ったネコ車。さすがにいまはフォークリフトに代わっている。







午後5時、船はまだ明るいコーヴの埠頭を離れる。岸壁にはバグパイプの演奏がはじまり、大勢の人びとが手を振って見送る。










もやい綱が解かれると船は11万トンの巨体をゆっくりと動かしはじめる。さあ、出港だ。コーヴの町が静かに遠ざかっていった。


今夜の夕食ではアスパラガスとイタリアの生ハムで2本目のワインを開ける。メインは蟹と海老のクリームソースかけで美味。好物のトマト・クリームスープが華をそえた。

食後、カメラをもって16階デッキにのぼり海の夕景を撮る。明日はいよいよ最後の寄港地ガーンジー島だ。(今回は13枚の写真を使うレポートで少々重くなりました。ごめんなさい)  

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2011年10月26日

ダブリンぐるりん


アイルランド随一(?)の美しい庭園パワーズコートを後にして、バスはダブリン市内に戻り、ボクらをキルデア通りで降ろした。このあとは夕方迎えに来るまで自由にさまよってくれ、というわけ。ありがたい。




ボクらはダブリンの街歩きにかかった。このあたりは博物館、美術館はじめ大学、古い教会などがひしめいている、が、ひとつ問題があった。今日は月曜日である。ほとんどの公共博物館、美術館は休館なのだ!



お目当ての国立考古学・歴史博物館をあきらめて唯一ひらいていた国立美術館にはいった。うん、なかなかよろしい。係の女性に同館の目玉、フェルメールの展示場所を尋ねたら、それはいま日本に貸し出しています、だって!がっかり。次に足を向けたのはアイルランドきっての名門トリニティ大学だ。




ここには「ケルスの書」という国宝級のお宝がある。それだけを観よう、とキャンパス内を進めば、図書館の前には長蛇の列。しかも図書館に入るには入館料が必要だ。もうお宝はあきらめて図書館の書棚だけでも見せてもらおう、と列の先頭に割り込んだが、入口をガードしていたオバマさんみたいな肌色の青年にやんわりと断られた。なら仕方がない、あきらめて街を歩こう。



街の中には1916年に起きた血なまぐさい「イースター蜂起」の舞台になった中央郵便局などがそのまま残っていた。リフティ川沿いの歓楽街テンプルバーは昼間でもひやかしの観光客でにぎわっていた。ダブリンの街は活気がある。しかし中心部の街路は碁盤の目ではなくメロンの網みたいに複雑でわかりにくい。また広告の看板も多い。








持ち時間を気にしながら、歩いて聖パトリック大聖堂に行った。1190創建の古い教会だ。大型バスが次々に観光客を運んでくる。ステインドグラスもあるが装飾を廃した簡素で力強い造りだった。







ギネスビール工場、作家の館などまだまだ見たいもの、行きたいところが残ったが、徒歩では限度があった。再集合場所に戻る途中でトイレ休憩をかねてカフェに寄りアイリッシュ・コーヒーを注文したら、店のマスターいわく「うちはライセンスがないんでね」とのこと。これまた残念。正統なアイリッシュ・コーヒーの販売は免許制とは知らなんだ。このあとはダブリンの裏通りをぐるぐるぐるりんと歩き続ける。



なんとか迷わずにメロンの網通りを抜けて待ち合わせ場所に着いた。迎えのバスに乗り埠頭に戻る。埠頭には思い思いの観光を楽しんだ船客数千人が乗船の列をつくっていた。例によって飛行機並の危険物チェックを受けて船室にもどる。





定刻、クラウン・プリンセスはダブリンを出港。夕陽のアイリッシュ海を南下して次の寄港地コーヴをめざす。暮れなずむ海を見ながらの夕食ではチーズスフレと貝柱のソティーにクリームスープを選ぶ。旅も後半、食慾も淡白になってきたみたい。  

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2011年10月23日

キュナードよ お前もか

QM2クイーン・ヴィクトリア、クイーン・エリザべスなどラグジュアリーな船を揃えるキュナード社は10月末をもって現在の船籍港サザンプトンをバミューダ島ハミルトンに変更すると発表した。これは汽船時代から171年間続いた伝統が改められることで、3隻の船尾をはじめテンダーや救命ブイに描く船名と船籍港名のすべてが描き直されることになる。

変更の理由についてキュナード社は「お客様の要望にお応えして船上で結婚式をあげることができるようになります」とサービスの拡大を言う。たしかにイギリスの法律では英国籍船は公海上で結婚式をあげることは出来ないことになっている。(例外として入港しているときや牧師など資格ある人物が乗船してる場合を除外している)しかし、今回の船籍変更の真のねらいは別のところにあるらしい。

Cruise Criticのブライアン記者によると真の要因は英国の「2010年均等法」だ、という。この新しい法律のよるとEU加盟国籍をもつ勤労者が英国籍の船舶で働く場合の賃金は、同船で働く英国人の賃金と均等でなければならない、という規定がある。キュナードの船には従来から外国人クルーが多かったが、最近は東ヨーロッパ(つまりEU国籍)の人びとがおおぜい乗り組むようになった。EU域外のフィリッピン人やインド人なら問題ない。

そういえばボクが今夏乗ったクラウン・プリンセスも東ヨーロッパ系クルーが多く、船の船籍はバミューダになっていた。伝統的英国調サービスで競合するP&Oセレブリティ・クルーズの船籍もバミューダやマルタ島だ。キュナードの母港移籍も伝統より経済性重視のあらわれだろう、つまり人件費対策だというのが世間の見方。もともと英国領だったバミューダでは、いまもレッド・エンサイン(赤旗の一画にユニオンジャックをいれたもの)を使ってるのだから都合がよい点もあるか。(情報はCruise Critic UK,Cruisejunkie comより)  

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2011年10月21日

ダブリン訪問


久しぶりに英国クルーズのレポートに戻ります。昨晩リバプールを発ったクラウン・プリンセスは翌朝定刻ダブリンに入港する。船はコンテナーヤードのような広い埠頭に着岸。ターミナルビルはもちろんのこと、屋根のある客船施設はない。



港の一画にはロシアのウダロイ級の駆逐艦アドミラル・チャバネンコ(8,900t)が接岸していた。前甲板に西側の軍艦ではみられない大型の艦対艦ミサイル発射筒を据えた攻撃的なデザインが珍しいのでついシャッターを切る。





ほかにも隣の埠頭にオセアニア・クルーズの新造船マリーナ(6万5千トン)がいた。今度のクルーズではル・アーブルでコスタ・マジカと出会って以来2隻目の客船。やっぱり英国周回クルーズは北海や地中海にくらべてマイナーな海域なんだ。



以前映画「マイケル・コリンズ」で観た印象が頭にあったので、ダブリンでは街歩きをしたかった。港から街まで船手配の半日観光バスに乗る。すると午前中バスは郊外の丘にのぼり、ボクらを広大な庭園があるお屋敷に案内した。







ここは19世紀にパワーズコート子爵夫妻がイタリア、フランスの庭園を参考につくったアイルランドで最も美しいと自称する館。持ち込まれて成長した樹木の種類も規模も並ではない。






ベルサイユ宮殿で見かけたような金ぴか金具やイタリアから輸入したらしき彫像などが随所にある。果ては日本庭園と称する区域もあった。もっともあずまやなどはどう見ても香港かカトマンズ風であるが。








英国風お屋敷には欠かせないバラ園もあった。館内には手芸品やみやげものブティックがならび、一階にはクッキーやサンドイッチ、田舎風スープなどを供するブッフェもある。ま、とにかくひさしぶりに緑と花を見物しながら庭のテーブルで昼食をとった。







午後はこのあと街歩きにもどるのだが、それはまた次回に。  

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