2024年03月15日

ロイヤル・バイキング・ラインの足跡   

新型コロナの規制緩和のせいか、クルーズを含む海外旅行が活気づいてきた。かつてはプリンセスとコスタ程度だった日本発着外国船がMSCをはじめノルウエイジャン、ホーランド・アメリカ、シーボーン、キュナードまで配船してきたかと思ったら、なんと今年はバイキング・オーシャンが神戸発着4コースを打ち出してきた。バイキング・オーシャンはハパク・ロイドのオイローパとベルリッツのトップ評価を競うクルーズ船だ。初代飛鳥、ふじ丸時代には考えられない展開になった。(下の写真は2019年清水港に寄港したバイキング・オライオン。下のバイキング・サンとよく似ているね)

ボクのクルーズ大好き心を刺激したのもロイヤル・バイキング・ラインだった。最初に乗った外国船がロイヤル・バイキング・スターだし、ロイヤル・バイキングの旗艦ロイヤル・バイキング・サンにも乗ることができた。そのときのバイキング・サンはキュナードに移籍が決まっていたので、煙突には海つばめのロゴマークがあったがマストにキュナードの旗を掲げていた。
(下の写真は在りし日のロイヤル・バイキング・サン。)

ボクはリスボンからチベタベッキアまでの旅だったが名船の印象はいまも脳裏にある。その後ロイヤル・バイキング・サンはキュナードに移籍してカロニアと改名したり、HALに移籍してプリンセンダムと改名し長く現役にあった。ロイヤル・バイキング・サンの船内配置や船客サービスは後発の中型客船が大いにお手本にした。バイキング・オーシャン・クルーズは後継者の筆頭といえる。(下の写真は HAL時代のプリンセンダムことロイヤル・バイキング・サン。特徴あるハウス部分の曲線処理がよくわかる)

ボクがロイヤル・バイキング・サンに乗ったときちょっとしたトラブルがあった。地中海クルーズだったから、ボクは妻とAF’(エールフランス)で成田を発ちパリ経由で乗船地リスボンに飛んだ。ところがリスボン空港で妻のスーツケースが出てこない。どうやらAFがパリで積み忘れたのだ。スーツケースには妻の大事な着物と帯など一式が入っていた。幸い一日遅れで荷物が届いたが、おかげでボクはリスボン観光どころでなくなり、ホテルと空港の間を跳び回ってロストバゲージ処理に翻弄される苦い思い出になった。

(左の写真はロイヤル・バイキング・サンで船長主催カクテルパーティのスナップ。ボクが作った郷土の船と歴史のイラスト本をオルガ・ハルシェイム船長に贈呈した場面)話が脇道にそれたので、新生バイキング・オーシャン・クルーズの話は次回にしょう。


  


Posted by はじめ at 09:46Comments(0)